absolute dread(アブソルート ドレッド)〜0〜 |
その日は、今月に入ってから初めての雨だった。 十一月の雨は体の芯から凍えるような寒さを私達に与えている。 本当なら、こんなに寒い日は自宅でのんびりと暖かいものでも食べて、暖かな部屋で何も 考えずに眠ってしまいたいものだ。それが出来るならここには居ないが。 「あぁ寒いな〜」 そんなやる気のない男の声が、私の後ろから聞こえてきた。 声の主は私の仲間の一人だ。連絡を入れてからもう一時間以上も経っている。 つまり、遅刻だ。 「仕方ないじゃない、私が雨を降らせているわけじゃないのよ・・・」 私がそう答えると、男は悪びれる様子もなく、肩をすくめて見せた。 「機嫌悪そうだな、深月・・・」 冬で雨降り、しかも今は夜中だ。こんな最悪とも言える天候の日に機嫌がいい人がいるだ ろうか。少なくとも、私の知っている仲間内には居ないと断言できるだろう。 これで機嫌が良かったら私は天使だろうが、残念なことに私は人間なのだ。 声の主、名前はアイザック=メンデル、私の部下の一人だ。 アイザックは私たちの中では古株になる。 明るく人当たりは良好、頭がよくそのくせ飾らない性格が同性に受けるのだが、逆にその ノリの軽さから女性受けは悪い。所謂お友達止まり。 顔は決して悪くないし身長だって低くはない。確か175cm以上はあったはずだ。体格 はよく筋肉質。だからと言って筋肉デブというわけでもない。健康的な肌の色をしているし男らしいといえばそうだろう。 まあ、アイザックがもてない理由はその軽さだけではないが・・・。 ちなみに、深月(みつき)=カラーコールと言うのが私の名前だ。 私は祖母に日本人を持つ、クオーターと言うやつだが、これでも私はれっきとしたアメリカ人である。だが、どうも日本人には同郷の人間に見えるのか、たまに日本の観光客が私に声を掛けてくる。だが、申し訳ないことに私は日本語など一切話せない。 それと言うのも、私の祖母が郷に入っては郷に従え精神であるために、必要ないと言われたからだ。 私の祖母は、知識は多いに越したことはないと言う口癖の持ち主で、よく私に日本のことを教えてくれるのだ。 ちなみに、郷に入ってはと言うのは、日本の言葉で、どこにいても自分の国に居るのと変わらず生活をしろと言うことらしい。日本人はよっぽど愛国主義者の多い国なのだろう。 (補足:郷に入っては郷に従う・・・と言うのは、正しくは、その土地に住むには、その土地の習慣・風俗に従って生活するのがよいという意味で使います) まあ、そういう訳で、観光客には観光課に行ってそこで道を聞いて欲しい。 アイザックから視線をずらし、私は辺りを見回す。 大通りから路地を抜けた袋小路に私達は居た。フライパンを想像してもらうと分かりやすいだろう。大通りから細い路地に入り、少し入り組んでいる道を右寄りに進むとここに辿り着く。深夜ということもあり、ほとんど人の気配はない。あるとすれば、今この場に集まっている仲間たちだけだろう。 この大きくもない袋小路に、所狭しと、仲間たち五・六人がここにいる。 少し先のほうで腰を落としているもう一人の仲間にアイザックが声をかけた。 「で?どうだ。エド」 もう一人の仲間、名前はエドガー=ホーキンズ。 仲間内からはエドの愛称で呼ばれている。 そして、このエドガーが凄いのだ。 何がというと、先ほど言ったアイザックがもてない理由のひとつがこのエドに関係している。はっきり言ってエドとアイザックが並べば十人中九人はエドガーを選ぶだろう。 残りの一人は、物好きだ。多分。 エドガーはとにかく女性にもてる。 その理由は様々だが、優しく穏やかな性格で、紳士的。女性を喜ばせるコツというか、ツボを天然で心得ていて、気遣いをうまく使いこなす好青年だ。しかも笑顔を絶やさない。 男女問わずにエドガーは文句なしにもてるのだ。 しかも、その顔の創りのいい事といったら、半端ではない。優しい瞳に綺麗な肌、綺麗な髪、女の私でもあの肌と髪は羨ましいと思う。形のいい唇にそこから出る声のまた綺麗なこと。鼻筋も通っていて、どこか欠点でも教えて欲しいくらいだ。そして身長はアイザックより高い、確か一八五cm前後だったはずだ。体重もアイザックと同じくらいか、もしかすればエドのほうが軽いかもしれない。 ここまでそろうともう嫌味かとさえ思うだろうが、またこのエドが憎めないほど可愛い性格をしている。礼儀正しく、子供っぽさを持ち、ついかまいたくなるのだ。 何時もそばに居て、どうしてもこのエドと比べられてしまう分、アイザックはいつでも惜しい男だったりする。まあ、私はそれを見るのが楽しいのでどうでもいいのだが。 話が大分それてしまったが、呼ばれたエドガーは、アイザックの声に振り返りはしなかったが、応えるようにその場から立ち上がり口を開いた。 「んー・・・。発見状況は通報にあったとおり、全裸で所持品もなし。 近くに血の付いたナイフが落ちていて、今のところ断定は出来ないけど多分凶器はこれ」 そう言うと、エドガーは透明なビニールに入っている血の付いたナイフを私達に見えるように持ち上げる。この雨の中にあってナイフの血が洗い流されなかったのは奇跡に近いだろう。 エドガーは横にいた別の仲間にナイフの入った袋を渡し、私達のほうへと振り返り、側まで戻って来ると先ほどの続きを話し出す。 「この雨で証拠が流れちゃうよね・・・まったく。被害者は十代後半から二十代前半の女性、今見た限りでは首頚動脈をばっさり・・・失血死だね。詳しいことは剖検で、・・・ただ、少し気になることがある」 私はエドガーを見上げて首を傾げて見せた。 「気になること?」 私がそう聞くと、エドガーは頷いてみせる。 私は視線をずらし、アイザックにも意見を求めようとそちらを向くと、アイザックは上着の内ポケットから煙草の箱を出し、煙草を一本箱から取り出して口にくわえて動きを止める。エドガーにも煙草を勧めるように、アイザックは煙草の箱をエドガーに突き出し、エドガーもアイザックの煙草を一本取ると、それを咥え煙草に火を点けた。 「肺を真っ黒にするのは自分だけにしなさいよ。アイザック」 私が眉間に皺を寄せると、エドガーもアイザックも苦笑い気味に笑ってごまかした。 エドガーは一口煙草の煙を呑みこむと、先ほどの私の疑問に答えるように口を開いた。 「右肩の付け根と左太股の付け根部分に妙な縫いあとがあるんだ。一度取ってまた付けたような・・・」 「手術の痕か何かなのか?」 アイザックがそう言うと、エドは煙草の煙を吐き出して、首を横に振った。 「・・・いや、そんな綺麗なものじゃない。まるで別のモノを無理やりくっつけた様な、糸もそのまま傷口も酷いものだよ」 エドの答えに私は眉をひそめて、遺体のほうに顔を向けた。 今はシートがかけられ、遺体は見えない。 私は顔をエドガーに戻し、口を開く。 「別のって、他人の体のパーツを無理やり縫いつけたってこと?」 エドはまた首を横に振ってみせる。 「そこまでは分からないけど、あれが医者の仕業なら間違いなく薮医者だね」 そう言うと、エドガーは肩を少しあげてみせた。 私はエドの答えを聞いて空を見上げた。真っ黒な絵の具で塗りつぶしたような重たい空は、氷の様な小さな雨粒を落し続けていた。 ![]() 雨はまだ止む気配を見せない。 このとき、私はなんとも言えない不安を感じていた。 まるで、闇の中の迷路に明かりもなく置き去りにされたような、そんな感覚。 そう、これは始まり。 ここは、アメリカの大都市のひとつ。 この国の人口はおよそ二億九千万人と言われている。そして、この街は六千万人以上もの人が住む大都市だ。 この街では毎日分刻みで犯罪が起きている。 交通事故や窃盗、ネット犯罪から果ては殺人まで。 事件は凶暴且つ狡猾に、そして日増しに進化し続けている。そういった犯罪者たちを捕まえるのが、私たち警察官の仕事だ。 だが、犯罪は増えるばかりでなくなることはなく、終わることのない鬼ごっこでもしているようだ。それでも、犯罪がなくならないかぎり、私たち警察の仕事もまた終わらない。 ただ・・・私が警察という仕事について、色々な犯罪に接していると時折思うことがある。 この世で恐ろしいのは、やはり人間なのだと。 少女の死体を発見してから数日が経っていた。 アイザックに頼んだ少女の身元はまだ分かっていない。朝からアイザックを見かけていないが、少女の身元を調べてまわっているに違いない。身分証などがなかったために調査に苦戦しているのだろうと思うが、検視の結果のほうが早そうだ。 そんなことを考えていると、エドガーが何かの書類を持って現れた。 「おはよう。深月」 右手にちょっと厚みのある書類を持ち、エドガーは書類を持つほうの手を少し上にあげ、朝にお似合いの爽やかな笑顔を浮かべながら、私の隣の自分のデスクの前に立った。 回りの女の子たちの視線は釘付けだ。朝のお決まりな光景なのだけどね。 エドガーの持ってきた書類はやっぱり検視の結果だったが、なぜそこまで厚みがあるのか聞きたいくらい分厚い、図書館の貸し出し禁止の辞典くらいありそうだ。 ものすごく読みたくない。 「・・・エドは読んだのよね?それ・・・」 それとはもちろん検視報告書のことだ。 「そりゃね、読んだよ・・・・・誰かさんたちが読まない可能性大だからね」 エドガーの言う誰かさんたちというのは、間違いなく私とアイザックだろう。 にこりと笑うエドガーの目が笑ってないように見えたのは気のせいってことにしておこう。 そして、エドガーがテスクの椅子に腰を下ろすと、待っていましたと言わんばかりの速さで、3人の女の子がエドガーにコーヒーとドーナツを持って現れた。 エドの大好きな〔クリスピー・クリーム・ドーナツ〕のトラディショナルケーキが5個とオリジナルグレーズドが5個ほど、元の箱から取り出され、可愛いお皿に盛り付けてある。 女の子たちが持ってきたカップもお皿も可愛いウサギ柄で、成人した男性にこれはどうなのと思うが・・・。 エドガーは嬉しそうにドーナツを食しているので、お皿やカップが可愛いウサギだろうがなんだろうがかまいやしないのだろう。 「ホーキンズ警部補のために買ってきたんですよ!」 「私は警部補のために美味しいコーヒー入れたんですから!!!」 「私なんて!このカップもお皿も警部補のために買ってきたんですよー!!!」 女の子たちのこの必死さを、どうか捜査で役立ててもらいたいと思うのは、私だけではないはずだ。 すると、一人が今思い出したように、私にコーヒーの入ったカップを差し出してくれた。 「ついでだったんで、警部のも入れときました!」 それで、ついでに私もコーヒーを貰った。 私は一応、君たちの上司なんですけどね。ついでってなんですか。 もう今さら、そんなことは言うまい。何しろ、この情景は日常茶飯事なのだから。 エドガーは、誰もが見惚れてしまいそうなほど優しく微笑んで見せると、 「折角だから皆も食べたらいいのに」 そう言ってお皿を女の子たちや私に差し出した。 勿論、私は遠慮なく貰う。私も〔クリスピー・クリーム・ドーナツ〕のドーナツは嫌いじゃない。 だが、女の子たちは3人とも真っ赤な顔をして、首を横に振る。まるで壊れた玩具みたいだと思った。3人とも必死すぎ。 「私たちはいいんですっ!捜査がんばって下さい!!」 そう声をそろえる女の子たちに、エドガーはこれまた爽やかに笑うと。 「ありがとう。ドーナッツご馳走様。君たちもがんばってね」 ![]() と言って、3人の女の子とたちを骨抜きにしてしまった。 3人は心ここにあらずという感じで、そこ等のデスクや人にぶつかりながら、誰の声にもその歩みを止めず、花でも咲かせたような雰囲気のまま去っていった。 なんなのだろう本当に。 さて、ドーナツもあらかたエドガーが片付けたのを見計らい、私は先ほどの続きをエドに頼むことにした。 と言うよりも、もう読む気などさらさらない検視報告書。 「だって・・・そんな物読むの、面倒じゃない?」 「うわっ!感じ悪いっ!!」 「冗談よ。・・・それで、検視結果は?」 「・・・本当に読むつもり無いよこの人は・・・・・」 そうは言っても、エドガーは困ったように笑うと報告書を私のデスクに置き、椅子を私のすぐ横に近づけて検視結果を報告してくれた。 結果は思ったよりも酷いものだった。 少女の直接の死因は初見のとおり、鋭利な刃物による首頚動脈切断による失血死で間違いない。凶器は現場に落ちていたナイフだ。 他に外傷となるのは右腕付け根部分の肩から下と、左太股の付け根部分より下、一度切り離し、また付けられたこれらについて、これはDNAの鑑定結果からも分かるが、どちらも少女本人のものではなく、まったくの他人のものだということがわかった。 また、右腕と左足の持ち主もまったく違う人物だということも分かったが、右腕と左足の持ち主は今のところ調べようもない。 縫い目部分について、切除に使われた凶器は現場にあったナイフと判明、切除部分はひどく傷ついた状態で骨にも傷があり、医術に携わる者ではないことだけははっきりと分かる。 腕と足をつなげるのに使われた糸は市販の縫い糸で、使われた針も市販の物と判明した。 腕と足の付け根部分の少女の体、本体には酷い炎症が見られる。相当の痛みがあり、それを抑えるために麻酔を使ったようで注射器のあとも無数に残っている。右腕と左足には防腐処理されたあともあった。 今の段階で分かることは少ない。少女の死亡後にレイプのあとも見られるが、もとから死体愛好者であるとは考えにくい。傷が炎症を起しているという事は、その間、少女は生きていたことになる。 痛みを抑えるために麻酔まで使用しているのだから、この段階では、犯人の目的は彼女を殺すことではなかったはずだ。 その目的も理由も分からず私の推測の域を出ないが、手間をかけてまで生かしておいた彼女を殺したということは、もう生かしておく必要が無いから。 その理由として、代わりを見つけたか、あるいは別の目的があるのか、目的が変わったのか・・・・・。 それに、右腕と左足の持ち主はどこにいるのだろう。今の段階でも生きている可能性は限りなく少ないと言えるのだが。 つまり、今回の事件が連続殺人である可能性が高いということを指している。 つづく |