absolute dread(アブソルート ドレッド)〜12〜 |
相変わらず忙しい署内、今日も何かと一階の総合受付があるフロアは、大混雑しているようだ。私の居る殺人課の部署は、一階フロアの受付から右に進んで、扉を挟んだ奥にある。 別棟の二階から三階までが殺人課のフロアだ。ちなみに一階は駐車場になっている。 普段は部署の正面玄関から入るのだが。たまに、部署の正面玄関前の駐車場が空いていないときがあり、仕方なく反対側に止めることもある。そのときは、気まぐれに総合受付前を通ることもあるのだ。 大体、駐車場が空いていないときは、総合受付に来た一般人がこちらに止めてしまうことが多い。まあ仕方ない事だ。 そして、たまにこうして違う行動をとると、面白いものが見れるときもある。 例えば、今日も総合受付の奥に、見慣れた姿を見つけて、私は思わず口の端を上げた。 ここまで触手を伸ばしているとは思わなかったが、可愛らしい受付嬢に話しかけているアイ ザックの姿を脇目に、私は自分の部署に移動する。 これでまた、アイザックをおちょくるネタが増えた。 私は別棟に移動して階段を上がると、何時ものように室内に入り、仲間たちと挨拶を交わすと、エドガーの横にある自分のデスクの椅子に腰を下ろした。 私の隣のエドガーは書類を読んでいたが、私に気がつくと、メガネをはずし、おはようと笑顔を見せる。相変わらず、朝から爽やかだ。 「おはよう、エド」 「何か機嫌良さそうだね?深月」 「実はさっき面白いものを見たのよね」 私はそう言ってエドガーに笑って見せる。 すると、エドガーは不思議そうに首を傾げて見せた。 余談だが、エドガーは左目の視力が極端に悪く、右は1.0と良いのだが、左は0.05と、かなり差は激しい。そのため、文字を書くときや読むとき、車の運転などではメガネを使用している。ただ、何故そこまで視力の差が激しいのかはわかっていないらしい。 「面白いもの?」 エドガーが体を私のほうに向けて、聞きたい体制を作って興味津々と言う目を向ける。私はさらに笑みを深くして、先ほどのアイザックの話を聞かせた。 するとエドガーは、しばらく考え込んだ後、ああと納得したように笑う。 「それきっと、受付のシンディだと思うよ」 「エドガーも知ってたの?」 何だ、つまらない。 私の思いが顔にでも出ていたのか、エドガーは困ったように笑って見せた。 「知ってたってわけじゃないんだけど、彼女、可愛いって評判なんだよ」 「あ〜なるほど。もしかして、エドガーもあんな感じの子が好み?」 「何で楽しそうなんだろう。まあいいけど、俺は残念ながら彼女はタイプではないね」 「そう?そう言えば、エドの好きな女性のタイプって聞いたことないわね?」 私はそう言って首を傾げて見せると、エドガーはきょとんとした顔をした。 「知りたいの?」 知りたいといえば知りたい、何せエドガーほど女性にもてる男が、恋人も作らないのだ。どれほど理想が高いのだろうと興味もわくというものだ。 「うんうん。どんな子?」 「深月も女の子なんだねぇ」 「それはどういう意味かな?」 「えっ? 変な意味じゃないよっ! 女性はそういう話が好きなんだなって思ってさ。深月は自分の恋愛話はしないだろ?だから意外と言えば、そうだなって感じただけだよ」 「そうだったわね。私は、頼れる男が好きだわ。エドガーは?」 「俺は……そうだな。俺自身を見てくれる人……かな」 エドガーはそう言って、やはり綺麗な笑顔を浮かべて見せた。 エドガー自身、そう言えばエドは、その甘いマスクで女性はノックダウンすることが多いけど、彼自身とくだらない話をする人間はあまりいない。 憧れが先行して、彼の本質を見ようとする人間は居ないかもしれない。 顔がいいのも考えものかもしれないな。 「女なんて、この世には星の数ほど居るぞー!心配すんな。エド」 私とエドガーはその声に反応して後ろを振り返る。そこにはいつの間に戻ってきたのか、アイザックがいつものように咥え煙草のまま、ニヤリと笑っていた。 「まーたフラれたんでしょ」 私がそう言うと、アイザックは「うっ」と言葉をつまらせて、エドガーに泣きつくフリをする。 「こいつは、傷心の俺を慰めようって気がねーよ!」 「何が傷心よ。毎回のことでもうなれたんじゃないの?」 「おまえ……俺だって傷つくんだぞ」 アイザックはそう言うと、仕方なさそうに息を吐き出した。 本当に少しだけ、アイザックが泣きそうな顔をしていたが、そのことについては、深く突っ込まないでやることにした。 二月に入り、最初の土曜日を迎えた日の夜。 私は自分の住むマンションへ帰る途中だった。 一昨日から降りだした雪が、今もまだ降り続け、今日は車を使わずに歩いて署まで行ったのだ。帰りも当然徒歩になる。 雨でも雪でも、私は傘を差すことがほとんどない。 それと言うのも、この仕事についてから、両手が使えないことで非常に不利になった経験がある。警察なんて、怨まれることもかなり多い仕事で、逆恨みなら星の数ほど受けているだろう。 そうなると、突然襲われたこともあるわけで、訓練を積んだ私が、簡単にやられることはありえないが、不意を衝かれると、私だって怪我をするかもしれない。 それを警戒していたら、いつの間にか、ハンドバッグは持たなくなっていたし、傘も持たなくなっていた。おかげで車が必需品と化してしまったのは、まあ仕方のない事だ。 帰り道、そう言えば、母に連絡を入れ忘れていたことを思い出して、私は携帯電話を取り出すと、実家へと連絡を入れた。 クリスマス、ニューイヤーと、私はことごとく実家に帰れずにいて、そのことについて、 母がぶつぶつと文句を言いたいらしい。 これが祖母なら、母のように口うるさくはないのだが。 娘を心配してくれる母親なのだと思えば、私も娘として、甘んじて母のお小言は聞いてやらなくてはいけないだろう。 それも娘の仕事のうちだ。 呼び出し音が携帯電話から聞こえ、他に聞こえる音と言えば、雪を踏む音くらいだった。 白い息が吐き出されては、私の前で薄暗い空気に消えていく。 時間はまだ十時を過ぎたばかりだ。母の事だからまだ起きているに違いない。 そして、呼び出し音が途切れると、一瞬の静寂が訪れ、電話をあてた耳のほうではなく、全くの逆側から、雪を踏む音がした気がした。 その静かな足音に、嫌なものを感じた。 私は、ほぼ反射的に体をかがめるようにして、音のしたほうに携帯電話を投げつけると、そちらに顔を向けた。 そこには、真っ黒な覆面に全身黒尽くめの小柄な誰かが、金属の長いものを持ち、少しふ らついている姿が見えた……。 どうやら、うまい具合に、私の投げた携帯電話が顔かどこかに当たったのだろう。 私は距離をとり、自分の懐から銃を取り出そうとするが、相手もすぐに持ち直し、金属の棒を振り上げ、私に襲い掛かってくる。 私はそれを避けるように下がるが、暴漢の狙ったものは私ではなく、私の投げつけた携帯電話のほうだった。力一杯に振り下ろされた金属の棒は、気持ちのよいほどに私の携帯電話を粉々に壊してしまう。 ああ、確かに、そろそろバッテリーもヘタレてきたし、そろそろ買い換えようとは思っていたが、なにも、携帯電話にヤツ当たりしなくても良さそうなものだが……。 だが、そのおかげで、私は懐から銃を取り出すことが出来たのだから、携帯電話に少しは 感謝しなくてはいけないだろう。 暴漢が私のほうに顔を向け、私に金属の棒を振り上げようとするが、既に私は銃を取り出 して、暴漢に銃口を向けていた。 ![]() 「大人しく武器を捨てなさない。警察官を襲うなんて間の悪い奴ね」 私がそう言うと、暴漢はしばらく動きを止めて、腕の力を抜いたように見えた。 だが、次の瞬間。暴漢は持っていた金属の棒を私に投げつけて、そのまま私に背を向けて走り去ってしまう。 私も、金属の棒を避ける事に気を取られて、一歩出遅れてしまった。 体勢を立て直し、私に背を向けて逃げる暴漢へと向き直るが、暴漢はあっという間に路地に入り、走り去ってしまう。 しばらく、私はその場に残り、辺りを警戒するも、あたりは、先ほどのように静寂が訪れ、遠くで車の走る音がたまに聞こえる程度だった。 もう、この辺りにはいないだろう。 私はしっかりそこに立ち上がると、銃を懐にしまい、携帯電話を回収しようと足をそこに向けた。 「……」 雪に混じるように、見事に粉々になってしまった私の携帯電話に、私は「はぁ」と息を吐き出した。まったく原形がない状態だ。よくあの一撃で、ここまで壊せたと、逆に感心してしまいそうだった。 きっと今頃は、母が拗ねているだろう姿が目に浮かんで、私はまた溜息を吐き出していた。 母のお小言の量が、これで2割増しになったことだろう。 母の事はまた今度時間を作るとして、今はこの事後処理が先だ。 ここから一番近いのは、エドガーの家だが、さて、どうやって連絡を取ったらいいものだろうか。携帯電話はこの通り、見事に使い物にならないし、近くに公衆電話もありはしない。近くにある店か、民家に電話を借りるしかない……。 かろうじて、警察署の番号は覚えていて本当によかった。 私もエドガーのように、もう一台携帯電話を持つべきかもしれないと、少しだけ真面目に考えてしまった。 エドガーがそこに来てくれたのは、私が連絡を入れてから、十五分後という早さだった。 車で現れたエドガーに、その車の助手席にはアイザックの姿もあった。 二人はこれから飲みに出かけるところだったようで、私が連絡を入れたときは、まだ署のほうに残っていたようだ。 そこから、車なら確かに十五分もあれば、ここにたどり着けるだろう。 エドガーとアイザックは車から降りると、私のそばに来て、アイザックはすぐに回りに目を向けて、辺りを観察しているようだった。 逆にエドガーは、私の顔を心配そうに覗き込み、すっかり冷えてしまった私に、自分の上着を脱いで私の肩にかけてくれた。 そう、ここがエドとアイザックの女性に人気が出るかどうかの差なんだと、何となく一人で私は納得していた。 「本当に、怪我とかない? 寒いから、深月は車で待っててもいいよ?」 エドガーは、本当に心配そうに眉毛を下げていて、その顔はまるで子犬のようだった。 「大丈夫よ。ありがとう、エド」 私がそう言って笑って見せると、エドガーは少しだけ笑い返した。 本当に、心配してくれているのだと思うと、ありがたいやら、申し訳ないやら、少し複雑な思いもするが、嬉しいことに変わりはない。 「俺は、お前を襲うっていう、犯人の勇気に感心だな」 アイザックはそう言うと、咥え煙草の灰が下に落ちるほどに笑っていた。 こいつはこれだ。 アイザックは私をなんだと思っているのだろうか。 やはり、一度は射撃の的になってもらうしかない。 「そうね。今 犯人に逃げられて、私ちょっとむしゃくしゃしてるのよ。アイザック」 私はそう言ってにこやかに笑ってみせる。 私の言葉に、アイザックは私に顔を向けて、目が合うと怯えたように笑い返してくる。 「ですよね。深月警部はか弱い女性でいらっしゃりますからね。俺も心配でした」 なんて、わざとらしい事を言うアイザックに、私はむすっと目を細めて見せると、アイザックの腹を軽く肘で殴っておいた。 「ふざけてないで、どうなのよ?」 私は両腕を胸の前で組んで、アイザックを見上げた。 「今のは、ちょっと痛かったぞ……あーとにかくだ。雪に残っている靴跡から見ても、 小さい奴だってのはわかる」 私は頷いて見せた。 「私が見たかぎりでは、小柄だったわ。身長は私よりも大分低い……百六十センチはないわね。細身で、あれは……女性だといってもおかしくないわ」 「女性か……でも、力は強いみたいだね。携帯電話がバラバラだ」 そう言って、エドは原形をとどめていない携帯電話を見下ろした。 「まあ、でも、そこに落ちている金属の棒の重さもあるから、一概には言えないでしょうけどね」 私はそう言って、後から来た仲間たちに後の事を頼み、私はアイザックとエドガーの車に乗り、家まで送ってもらった。 面倒ではあるが、暴漢に襲われたとなると、私が死なないかぎり担当部署が違うのだ。 殺人課の私に出来る事は全くない。 ただ、心当たりがあるかどうかと聞かれれば、一人だけいる。 小柄な女性。そのイメージに合うのは、彼女一人だ。 証拠があるわけでもないし、顔を見たわけでもない、声すら聞いていないが、女性の犯人を捜している今、容疑者と思しき女性と接触した後に、外見が近い暴漢に襲われる。 これが、全くの偶然に思えるだろうか。 少なくとも、私はそう思えるほどに平和ボケしているつもりはない。 もう一度、彼女に会う必要はあるだろう。 パトリシア=アンダーソンに。 つづく |