absolute dread(アブソルート ドレッド)〜13〜 |
ただ、疑問に思うことがある。 もしもパトリシアが、私を襲ったのなら……その理由はなんだ? この事件の担当はエドガーだ。エドガーもパトリシアにそう説明していたはずだし、私はエドガーの手伝いで一緒に行動しているに過ぎない。 確かに、私はエドガーの上司だが、パトリシアにはそんなことを話した覚えはないし、エドガーも話していないはずだ。 では何故、私だったのだろうか。 ホテル事件の犯人がパトリシアだとして、彼女が襲うなら、男性であるエドガーのほうが狙われやすいのではないだろうか? 彼女が、何かを勘違いしているのか? 何を。 何か、私は大事なことを見逃していないだろうか。何か、とてつもない間違いを、私は犯しているのではないだろうか。この漠然とした不安は、一体なんだというのだろうか。 私の疑問に、後一つ……後一つだけ。一番大事なパズルのピースが、一つだけ見つかっていない気がする。 再び、K大に向かったのは、私が暴漢に襲われてから、3日後の事だった。 今回も私と、エドガーの二人でだが、今回も話を聞くだけのつもりだった。例によって、パトリシアはエドガーに席を外させ、私と二人で話を始める。ここに居ないが、エドガーはすぐそばで、いつでも動けるように待機中だ。 今回の呼び出しにも、パトリシアは快く出向いてくれた。何故か、異常にパトリシアの機嫌がよすぎることに、私は少し警戒していたが。前回同様、事件の事などを聞いてみるも、答えも前回と同じだった。 だが、今回は私への暴行容疑もかかっている。少し揺さぶろうと幾つもの質問をしてみるも、彼女はいたって平静に、全てを答えていた。逆に、その態度が私には疑問に思ってしまった。連続殺人の容疑、それに警察官への暴行未遂容疑がかけられていると言うのに、パトリシアは異常に冷静で、慌てる様子も、戸惑う様子もない。 まるで、はじめか私の質問がわかっているかのように、彼女は言葉につまることもなく、用意された台詞をスラスラと暗唱するように答えていたのだ。 そう言えば、私たちがここに来たときも、彼女は突然呼び出されたはずなのに、いたって、普通に、まるで、近所の知り合いに挨拶をするように、こんにちはと笑って見せたのだ。 私の頭には、疑問しか浮かばない。少しでも動揺して、取り乱したほうが、まだ、それっぽいというのに。まるで、彼女は何かを待っているようにも見えた。 「刑事さんは、私を犯人に仕立て上げたいんですか?」 そう言って、パトリシアは困ったように笑って、私を見上げた。 「そういうわけじゃないわよ。勿論、あなたが犯人でないほうが、私だって嬉しいのよ」 「証拠もないのに、まるで私を犯人とでも言うように、尋問しているじゃないですか?」 パトリシアはそう言って、目を細めて笑う。その顔が、今 するべき表情を浮かべていないと、彼女は気付いているのだろうか。 少女の顔は、既に少女のそれではなく、一人の女性として、私に何かを感じさせる。 今日、私は始めて、目の前の小さく、か弱いはずの少女に、恐怖を感じた。彼女の目に、顔に浮かぶ薄ら笑いは、余裕とか、そういう感情ではない。激しい嫉妬と、纏わり付くような、憎悪だ。 「私、あなたが嫌いなんです。あなたが……大嫌い」 パトリシアはそう言うと、薄ら笑いを急にやめて、私を睨み上げた。その顔に、私は柄にもなく、ぞくり と背筋に寒気が走る。 これが、十九歳の少女がする表情だろうか。 「パトリシア?」 私が名前を呼ぶと、彼女は二・三歩後ずさり、あの可愛らしい顔の面影すら残さずに、私を睨んでくる。これは、前に祖母が見せてくれた掛け軸のあれのようだ。そう、般若のような。 「あなたが……あなたが居るから。あなたが居なくなればいいのに。あなたが居るから……私を一番に見てくれない……あなたが……」 何の話をしているのだろうか。 「パトリシア、落ち着いて、わかるように話してちょうだい?」 私がそう言うと、パトリシアはニヤリと笑う。 「わかるように? 簡単よ……あなたが死ねばいいのよっ!!!」 彼女はそう叫ぶと、隠し持っていた試験管を私に投げつけてきた。中には液体が入っているようで、コルクで蓋をされたそれは、私の上着の固いところに当たったようで、パリンと音をたてて割れた。すると、中身が私の上着を濡らし、煙をあげる。これは……。 私は慌てて上着を破るように脱ぎ捨てると、顔を上げるが、既にパトリシアがこの部屋を出て行く後姿だけしか見えなかった。参った。 「痛っ……」 少し肌にもかかったらしい……。鎖骨の下辺りが、焼けるようにジリジリと痛んだ。 彼女を追いかけなくては……。 「深月!?」 エドガーの声に、私は振り返る。まったく、とんだ失態だ。 「私の事はいいから、先に彼女を追って!すぐに追いつく!」 「わかった……。無理しないで、応援呼んで!!」 エドガーを見送ると、私は応援を呼ぶために携帯電話を取り出した。今回は、携帯電話を上着ではなくズボンに入れておいて正解だったようだ。 私が電話で応援を呼んでいると、近くに居た生徒や教授たちも集まってくる。その中の一人が、私の怪我を見て応急処置をしてくれた。どうやら、私の引っ掛けられた液体は硫酸のようなものらしい。顔にかからなくて、本当によかった。 私は応急手当をしてくれた教授にお礼を言うと、携帯電話を切り、エドガーの後を追った。 仲間がこちらに着くのは、遅くとも一時間とかからないだろう。 長い廊下に入り、二人が向かっただろうところを目指した。 私の頭は混乱していた。パトリシアの言葉は、私を怨む言葉だったが、私と彼女が出会ったのは数週間前だ。ホテル事件を調べ始めてから、辿り着いたのがここだった。 それ以前に彼女と会ったことなどない。だが、彼女は私に死ねばいいと思うほどの恨みを持っていた。それは、憎悪と嫉妬からだろう。彼女の顔と言動から推測できるのはそれくらいだ。 むしろ、それすら演技かもしれないが。私を殺したいと思っていたことは、少なくとも事実だろう。一体何が……。 今、ここではっきりしたのは、パトリシアが私を襲った暴漢であったと言う事。今日の彼女の行動や言葉で、これだけははっきり断言できるだろう。 そして、内通者の有無だ。彼女は警察内部の情報を得ていた。しかも、私が知る人物だ。そうでなくては、彼女の言葉や行動に、説明がつかない。 何よりも、その内通者と彼女の関係は、ずっと深い間柄だったかもしれない。だからこそ、彼女は私に恨みを抱いたのかもしれない。こればかりは憶測に過ぎないが、もっとも可能性が高いものだ。彼女を捕まえれば全てがはっきりする筈だ。 そして、内通者が居たと言う事は、彼女がホテル連続殺人事件の犯人である可能性は十分に高い。早く、エドガーを見つけなければ。 私は、廊下を走りぬけ、倉庫などがあるフロアまで出てきた。二人はどこまで行ったのだろうか。さらに、移動しようとした私の耳に、一発の銃声が聞こえた。 「……エドガー」 私は、音の聞こえた方へと足を進める。しばらくすると、何かが崩れる大きな音が聞こえ、私は音のした扉へと駆け寄り、扉を開けると、むせ返るような血の臭いに、思わず顔が歪んだ。 床や壁には夥しい量の血液が広がっていた。この量は一人や二人ではない。その血塗られた室内には、血まみれの、見慣れた姿があり、私は本気で動揺してしまう。 壁に寄りかかるように、エドガーはぐったりとして、床には金属の棚だろう、それがいくつも重なるように倒れていた。 ![]() 「エドっ」 私がそう呼ぶと、エドガーはゆっくりと顔を上げる。 「深月………………彼女……奥に……っ」 エドガーはそう言うと、痛そうに眉間に皺を寄せ、左腕の上のほうを右手で押さえた。 「撃たれたの?」 「まったく、始末書ものだよ……銃を奪われちゃったんだ。……俺、最近撃たれてばっかりだなぁ……」 エドガーはそう言って、本当に不機嫌そうに顔をしかめる。ああ、なんだ。意外と元気そうだ。 「それにしても、この血の海は何?」 「ああ、ここ輸血用の血液の保管所みたいなんだよね」 なるほど、やっと納得できた。さっきの銃声はエドガーが撃たれた音で、物が壊れるような、あの大きな音はこの床に倒れている金属の棚の音だったのだろう。エドガーに近付けば、倒れた金属の棚の間に、エドガーの足が挟まっている。これでは、すぐに動くことは不可能だ。 エドガーの姿を見て少し安心したが、まさか、エドガーが女の子を相手にこんな失態をさらすとは思いもよらなかった。逆に言えば、相手が少女だったことで油断してしまったと言う事なのだろう。 私は、自分の銃を手に持つと、安全装置を外し、しっかりと両手で持ち構える。エドガーの指すほうに、もう一つ奥に続く扉が見えた。 「応援は呼んであるから、エドガーはここで大人しくしてなさい」 私がそう言うと、エドガーは苦笑いで頷いた。 「気をつけて」 エドガーの言葉に頷くと、私はもう一つの扉に近付き、その扉をゆっくりと開けた。そして、銃を構えたまま、私は中に入る。 室内は、やけに明るく感じた。電気がついているわけではなくて、入り口から入って正面が窓になっていて、カーテンが付いていなかった。ブランドを下ろすタイプのようだが、今はブラインドも上がったままだ。狭い室内で、隠れられるようなところもなく、パトリシアはすぐに私の視界に入ってきた。窓際の中央にこちらを向いて立っていたのだから。 この部屋の出入り口は、私が入ってきたここしかない。 私は銃を構えたまま、パトリシアを見つめた。その右手には、確かにエドガーの銃が握られている。 せめてもの救いは、エドガーのこの銃で誰も死んでいないことだろう。とにかく、今は彼女を捕まえることが優先される。 「銃を捨てなさい」 パトリシアにそう言うと、彼女はどこかに泳がせていた視線を、私のほうに向ける。そして、私を確認すると薄っすらと、顔に笑みを浮かべた。何故か、嫌なものを感じる。 焦りにも似た、この感情が出す答えに、私は少なくとも外れてくれることを強く願っていた。もしも、今回までもがそこに辿り着くようなことになれば、私は……。 パトリシアは、ゆっくりと右手を上に持ち上げる。私は警戒を強めて、彼女の行動の全てを見逃さないように、瞬きすらやめた。そして、彼女は右手に持つ銃を、私にではなく、自分の米神にしっかりとした手つきで押し当てたのだ。 彼女も、そこに辿り着くのか。そう思う私が、今まで見落としていたピースの最後の一つを、見つけてしまったような気がした。 「パトリシア、銃を捨てなさい。馬鹿なことを考えないで」 多分、私がどういっても、彼女はやめないのだろう。パトリシアは、口の両端を裂けそうなほどに上へと吊り上げて見せた。 「馬鹿なこと? 馬鹿はあなたじゃない」 パトリシアはそう言うと、右手に力をこめる。 「私を殺したいんじゃないの?」 とにかく、彼女の気を引きたい。時間稼ぎがしたいのだ。打開策を見つけようと、私の頭はフル回転しているが、彼女の行動理由が理解できない私には、彼女を止める手立てが思いつかないのだ。 「そうよ」 パトリシアはそう言って、笑みを更に深くすると、迷うことなく右手に力を込め、引き金を引いた。 大きな音が室内に響き、パトリシアは顔に笑みを貼り付けたまま、その場に崩れ落ちた。私は銃を構えたまま、彼女のそばに立ち、彼女を見下ろす。 迷いも恐怖もない顔で、何かを感じさせるような笑みを浮かべたまま。容疑者であるパトリシア=アンダーソンは自殺。 そして、この事件の幕が下りることになった。 つづく |