absolute dread(アブソルート ドレッド)〜14〜



 パトリシア=アンダーソンは、十五歳の時に両親を亡くし、現在は独り暮らしをしていた。学校での成績はいいほうで、将来は小児科の医者になりたいと友人たちに話していたそうだ。大学の教授たちの話では、授業態度は真面目なほうで、物静かな感じの子だったという。ただ、極度に男性への敵対心というのか、恐怖心とも取れるほどに、男性を避けていた節が見られたらしい。

 彼女の過去に何があったのか、今となってはもう分かる術は無いが、少なくとも、彼女がここ数ヶ月に男性と出かけることを目撃していた人たちは、彼女のその行動にみんな首を傾げるほど、彼女らしからぬ行動であったようだ。

 私を襲った暴漢と、ホテル事件の犯人が同一犯であったという証拠は、パトリシアの住むアパートで発見された。

 綺麗に整理された室内。綺麗と言うには、少し異常なくらいかもしれない。彼女の部屋は、その几帳面な性格が見て取れるようだった。

 部屋には埃すら落ちていないように、掃除が行き届いていて、靴や傘などは一つ一つ分かりやすくまとめられていたし、食器棚の食器は全て袋に入り、伏せてある状態で種類別にまとめられていて、本やその他の家具も、食器同様に本当に几帳面に整頓してあって、まるで人の住んでいる部屋という感じを受けないほどだった。

 アルコール消毒液や、抗菌剤なども多数見つかっているが、とにかく、この部屋で異常なものは、テーブルの上にある大きな灰皿と、キッチンにある大きな冷凍庫くらいだろう。

 彼女は煙草を吸わない。

 つまり、煙草を吸う誰かが、この部屋に頻繁に出入りしていたことになる。

 何故、頻繁に出入りしているのが分かるのか、それは、彼女の几帳面な性格からだ。

 彼女は自分が常に使うであろう食器や服、その他、本や学校で使うものまで袋に入れて保管している。その彼女が、灰皿だけはしまっていないのだ。

 つまり、この灰皿を使う誰かが、いつ来てもすぐに使えるようにしてあるということだ。几帳面な彼女のおかげで、灰皿には灰のカスも付いていない状態だが。

 そして、大きな冷凍庫の中身だが。

 キッチンには、一人暮らしをするには少し大きめの冷蔵庫が置いてあり、その冷蔵庫は一般的なものだ。冷凍室も勿論付いている。にもかかわらず、一人暮らしの彼女が、なぜ大きな冷凍庫を買う必要があったのかだ。

 冷凍庫は私の腰の高さで、豚一頭なら入ってしまいそうな大きさだった。豚一頭とは言っても、仕舞いやすく解体されていればという話だが。

 その冷凍庫の中身は、予想どおり、分かりやすくラベルが貼られ、使いやすく分けられた袋詰めになっている幾つもの肉がしまいこまれていた。

 ラベルには、今まで犠牲になっていたホテル事件の被害者たちの名前が張られていて、被害者たちが切り取られた体の一部と、保存された部分は一致していたのだ。

 ただ保管していただけでは決して無い。何故なら、冷凍保存された肉は、少し足りないのだ。つまり使われた後がある。

 そして、冷蔵庫の中には、何かの肉を使った料理が、幾つも入れ物に保管されていたのだ。

 さすがに、私でも気持悪さを感じてしまったが、新人連中は耐え切れずに外へと駆け出してしまった。無理も無い。

 詳しい検査の結果、彼女の家の冷蔵庫からでてきた調理済みもモノは、全て人肉を使っているものだと判明した。そして、彼女自身の胃の内容物からも、人肉が出てきた。

 彼女は、私たちの予想通りに、人の肉を食べていたのだ。

 過去にそんな判例を見聞きしたことはあったが、実際に自分が直接係わる羽目になるとは思いもしなかった。確かに、凶悪事件はいくつも係わってきたが、女性が連続殺人を犯すこと自体が稀な事なのに、まさか、こういう結末を迎えるとは思わなかった。

 それこそ、私のただの思い込みに過ぎないのだろうけど。

 今回の事件で物的証拠は十分にあるが、どうしても、パトリシアの犯行の動機が分からない。そこまで重要なことなのかと聞かれれば、犯人としての証拠がある以上、本人が自殺してしまったため、動機を知ることも出来ない、だから、証拠のみに重点を置けばいいだけなのだが。

 今回は、それだけでは足りないような気がするのだ。

 これは、完全に私の勘でしかない。

 根拠など存在しない、女の第六感とでも言おうか……。

 そんなことを言ってしまったら、アイザックに呆れられた上に、大笑いされること請け合いだ。私は探偵ではなく警察官なのだから、勘や推理で動くと言う事は、どれだけ危険で馬鹿らしい事かと言うのをよく知っている。

 それでも、考える事を今はやめてはいけない気がするのだ。



 今回のホテル事件は、パトリシア=アンダーソンが犯人で間違いないだろう。

 証拠品はパトリシアの家から十分に出た。

 今私が知りたいのは、彼女の動機だ。

 几帳面な性格、彼女の家を頻繁に訪ねていた誰か、男性に対しての強い恐怖心と敵対心、男性だけを狙った殺人、そこから”食べる“に至った行動や感情、警察の動きを把握していた情報源、強い恨みと嫉妬、自殺。

 この全てを満たす答えは……。

 パトリシアの情報源は、多分警察内部からのものだろう。

 その警察内部の誰かと、パトリシアは深い関係にあった。

 彼女の嫉妬や怒り、憎悪などが私に向いたと言う事は、私の知る人物だ。

 だが……。

 パトリシアは男性を嫌っていた節がある。にもかかわらず、男性との飲み会、俗に言う合コンをした。それについては、獲物を物色していたと考えれば、然程おかしいことではないと思うが。

 いや、矛盾しているのか。

 男性に怨みを持つ、それなのに彼女は恐怖していたのだ。怒りと憎しみの矛先を他の男性に向けていた。支配したかったのか。

 そもそも、彼女の家に頻繁に訪れていたのは誰だ?

 男性なのか、それとも女性なのか……そこからしてわからない。

 男性を嫌っていたのなら、パトリシアが恐れずに会うことが出来るのは女性と言う事になる。彼女が同性愛者だとしても、それが何の問題になるだろうか。

 いや、違う。

 私の考えがずれている。

 やはり……まだ足りないのか。

 まだ、何か。







 三つの大きな事件が解決した。

 私たちが落ち着いたのは、二月の終わりごろだった。

 いつものように、一日の仕事も終了し、署内は帰りムードの中。

「つーわけで、パーッと飲みに行こうぜ! なっ?!」

 そう言って、私の肩をたたいたのはアイザックだ。

 まったく、いつでも能天気で羨ましい奴だ。何人の女性に振られても、めげないそのしつこさを、是非とも捜査に役立ててほしいところだ。

「まあ、そうね。エドが謹慎処分で居なくなる前にね」

 私がそう言うと、エドガーとアイザックは笑顔を引きつらせた。

「だから、俺だって凄く反省してるんだってば。油断したとは言え、犯人に俺の銃で自殺なんてされてさ。首にもならずに、降格もされなかったことが奇跡だよ」

 エドガーはそう言って、苦笑いで深く息を吐き出した。

 確かに、エドガーは一週間の謹慎処分をくらっただけで、他のお咎めはなかった。

 これも、エドの日頃の行いがよかったためだろう。

 アイザックも心の底から見習うべきだ。

 まあ、それだけでもないのだけど。

 銃を奪われた時、エドガーは足に全治3週間の打撲を負い、更に銃で肩を撃たれていた。そのことも、上司の処分が甘くなった原因の一つだといえるだろう。

 そして、現在エドガーは、事後処理と報告書、その他もろもろの後始末やら手伝いで、謹慎処分をまだ執行されていない。これも上司が泣きついてきたためだと言っておこう。

 エドガーは、良くも悪くも上司に好かれすぎだ。

「それにしても、ここ数ヶ月は悪魔のごとき忙しさだったな」

アイザックはそう言って、咥え煙草で飲み込んだ煙を吐き出した。

「そうね。忙しかったのは、主に私とエドだけどね。この無断欠勤と遅刻の悪魔。教会に行ってお払いして来いっ。是非、その茹った脳味噌を聖水で洗ってもらいなさいよ」

 私はにこりと笑顔を顔に貼り付けて、アイザックに顔を向ける。

「俺が悪魔かよっ!」

「私のおばあちゃん曰く、日本では、煩悩を捨てるために、男女問わず頭を丸ボーズにする風習があるそうよ。おばあちゃんに頼んで、あんたの頭をすっきりさせてやろうかしら」

「まてっ! いや、待ってください!! 本気でごめんなさいっ!! スキンヘッドは勘弁してくださいっ!! 俺、お嫁にいけなくなっちゃうっっ!!!」

「アイザックはお婿さんになるか、お嫁さんを貰わないとだね」

エドがそう言って笑うものだから、私も一緒になって吹き出した。

「お〜い。エド……頼むから、俺を労わってくれよ」

「いつも労わってるだろ?」

「そうよ、アイザック。あんたはエドに張り付きすぎよ。少しは弟離れしたらどうなの?」

「それは、お前には言われたかねぇぞ。深月」

 アイザックはそう言うと、煙草を灰皿に押し付けて、にやりと私を横目で流し見た。

 大概、私もアイザックもエドが可愛くて仕方ないのだろう。

 人の事を言えた義理ではない。

 ここにアルバートでもいれば、気持ちのよい駄目だしをしてくれることだろう。

 私も結局、苦笑いするしかない。

「じゃあ、ジョージの店でも行きましょうか」

 私がそう言って席を立つと、エドガーも席を立ち上着を着込む。

 私も上着を着こんで、三人でいつものようにジョージの店へと向かった。


 明日からエドガーが謹慎で一週間は休みになる。

 今日はエドガーに浴びるほど飲ませてやろうと、私とアイザックは半ば無理やりにエドガーにお酒を飲ませた。エドガーもまんざらでもなさそうに、終始困ったように、それでいて、どこか楽しそうに、私たちの頼むお酒を飲んでいた。

 また明日から、いつものように、そこそこ 忙しい日々に戻るのだろう。

 エドが謹慎処分を終えれば、また三人で色んな事件に立ち向かうのだろう。

 頼れる、信頼できる仲間がそばに居てくれる。そのことが、私にとって何よりも心強く、嬉しいことだと思うのだ。

 このまま、変わらない笑顔を見続けることが、どれほど難しいか。

 このときの私にはわかるはずもない。



 私の頭を悩ませていた事件は解決した。

 多少の謎を残したが、絶対に納得できる答えなど、この世のどこにも存在していない。

 だから、この先も、この事件の納得できる何かを獲ることなど出来はしないだろう。

 だが、それでいい。

 いや、そう納得するしかないのだ。

 これからも私は警察官であり続けるし、警察官であり続ける以上、何かの事件が終わることは無い。私が死でも、事件は続いていく。

 この世界に、人間が生き続けるかぎり。

 だが、今日は久々に、何を気にすることもなく眠れる。眠れる筈だ。

 エドガーとアイザックの二人と別れたのは、かなりふらついていたエドガーを、アイザックが送って行き、そのついでに、私も家まで送ってもらったあと、十一時三十分も過ぎたころだ。エドは、アイザックの車で眠そうにしていたが、少し飲ませすぎたかもしれない。

 まあ、それにしたって、今回はエドガーも怪我をして、痛い目にあっている。

 少しくらい羽目を外すのも悪くは無いだろう。

 どうがんばっても、一週間はエドガーも大人しく家にいるしかないのだから。

 私はシャワーを軽く浴びて、寝る準備をすると、お酒で火照る体と、少しぽうっとする頭を、ベッドへと沈めて両目をゆっくりと閉じた。

 日頃の寝不足と、お酒の勢いも手伝ってか、意識は意外に早く沈んでいった。













つづく

next