absolute dread(アブソルート ドレッド)〜18〜



私が警察という仕事について、色々な犯罪に接していると、時折思うことがある。

この世で恐ろしいのは、やはり人間なのだと。





この世界は日々変わり続ける。

それは、何も犯罪に限ったことではない。

世界は動き、変わり続けるものなのだろう。

私が生きているこの瞬間も、そして、私が死んだその後も、この世界は変わり続け、そして星の寿命尽きるまでその姿を変え続ける。

限りになく近い同じ瞬間が訪れたとしても、次の瞬間がまったく同じなんてありえないのだ。私達は常に進歩していくのだろう。

私はそう信じたい。

同じ過ちを繰り返さない生き物であると、そう信じたい。



今年も雪が降る季節になった。

去年に比べ、雪はそれほど多くないように思うが、天気予報では例年どおりらしい。

気分や気持ちでも、空気や風景が変わって見えると言う事なのかもしれない。

「今日も寒いよな〜」

私の隣でアイザックがそう愚痴りながら、既に煙草の吸殻で溢れている灰皿に、また新しいた吸殻を乗せている姿が私の目に映り、私は呆れて溜息が出る。

「暖房効いてるじゃない」

私がそう言うと、アイザックは疲れたような顔で笑う。

「寒いのは俺の心だ。あ〜どっかに俺好みの子はいねぇかな〜」

「いないわね」

「即答かよっ」

私達はどこか、何か、足りないものをわかっていても、見ないようにいつものやり取りを繰り返す。私たちにとって、大きな何かが欠けてしまったことには、目を瞑るように。

今日も私達は、仕事に追われる。

休みなんてそう滅多に取れるものではない。

それでも、今年のニューイヤーには、実家に帰ろうと思う。

久々に、母や祖母の作った手料理が恋しい。

「ねえ、アイザック」

「あ?」

アイザックは今消したばかりなのを忘れているのか、また煙草を咥えて顔を私のほうに向ける。まだ火は点いていないが、その右手にはしっかりとライターが握られていた。

「今年の年明けはどうするの」

私がそう聞くと、アイザックは少し不思議そうな顔をして、ライターを持っていないほうの手で頬杖をついて見せた。

「年明けは、多分仕事か、じゃなきゃ家で酒飲んで寝てるだろうな」

「彼女作ってどうとか、いつも言ってるくせに暇人なのね」

「俺はいざとなれば、可愛いおねーちゃんのいっぱい居る店で、色々なサービスしてもらえるからいいんだよっ。女なんて……ほしーぞ〜〜〜」

そう言ってアイザックはがっくりと肩を落とした。

まったく、苦笑いするしかない。

「それじゃあ、暇なんでしょ?」

「おー暇人だぞ〜〜」

アイザックはそう返事をすると、煙草に火をつけた。

「じゃあ、今年はうちに遊びに来る?」

「はあ!? お前の家って……お前、俺と二人きりで……」

どんな事を考えているかなんて知りたくもないが、思いのほかアイザックが驚いた顔をしているのが少しだけムカついた。

「誰が私の家と言った。私の実家よ。実家。うちでホームパーティみたいなことやるから、暇ならあんたも来ればって言いたかったの。何でアイザックと二人きりで、しかも私の家で貴重な休日を過ごさなくちゃけないのよっ。仕事じゃあるまいし」

「いや、そこまで嫌がらなくてもいいだろ……」

冗談ではない。

本当にアイザックと仕事以外で二人きりで過ごすのは御免だ。

飲みにいくのは別にして。

「俺って、男として警戒されてんのか、人間として否定されてんのか、微妙にわかんねぇんだけど」

「さあ、どっちかしらね?」

私がふざけてにやりと笑って見せると、アイザックは顔を引きつらせながら曖昧に笑った。

「深月さ〜ん。俺も一応傷つくんですけど〜」

「それは初耳だわ」

「おい」

私はアイザックと笑い合いながら、少しの休憩時間を過ごしていた。

私達は、こうして慣れていくのだろう。

彼が居なくなったこの虚しさや寂しさに。

こうして、毎日の風景に戻っていって、そのうち誰もが彼を忘れてしまうのだろうかと思う。いや、多分忘れることなんて出来ないだろう。

誰もが心のどこかで彼を思いながら、それを口にしないだけで、だれも忘れるはずがない。

今でも彼の行方を捜しているが、彼が見つかる可能性はまずないだろう。

彼が自ら私たちの前に現れない限り、彼を探し出すことなんて不可能に近い。

彼が居なくなった事で、たくさんの謎が残ったが、わかったことも勿論あって。

私とアイザックには誰にも言えない秘密が出来たし、多分彼を捕まえることの出来る人間が居るとすれば、それは私たち以外居ないだろうと言う事も。

虚しさや寂しさは勿論あるし、彼に会いたいと思わないわけではない。

でも、それは彼の表の顔であって、本当の彼は……多分、バケモノなのだろう。

そして、そのバケモノがこの世界のどこかで、目を細めて獲物を探すのを今の私たちには止める術がない。

私たちの知る彼、エドガーと、私が最後に見たあの冷たい目をした彼と、一体どちらが本当の彼だったのか、今でもわからないのだ。

本当は、あの冷たい顔をした彼がそうだとやはり信じたくないのだと思う。

それでも、そのときが来たら、彼を止めなくてはいけない。

私はそう思う。





休憩時間もそろそろ終わるころ、私達はまた次の事件に引っ張り出される。

外は雪だ。

寒さが年々この身に沁みる気がする。

決して冬が嫌いではないのだけど、音を吸収してしまう雪が、何故か孤独感のようなものを感じさせる気がする。

私は席を立ち上着を手に持つと、捜査へ戻ろうと出入り口に向かう。

アイザックは私の少し前にいて、そこに立ち止まり窓の外を見つめているようだった。

雪は静かに降り続けていて、まだ止むことはない。

「警部、お電話が入ってますが」

そう言って、私を呼び止めた女の子に、私は首を傾げて見せたが、私は踵を返して自分のデスクの電話から受話器を上げた。

「もしもし、カラーコールです」

そう言えば、誰からの電話だったか確認するのを忘れていた。

まあ、それは相手の名前でも聞けば分かるだろう。

私がもしもしと声を出したあとも、受話器の向こうは無言のままで、切れてしまったのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。

受話器越しに、微かに車のクラクションの音が聞き取れた。

多分、街の中からの電話だ。

「もしもし?」

もう一度そう言ってみるが、まだ無言だ。

いたずら電話だとしたら性質が悪いが、私を名指ししていると言う事は、少なくとも私を知る人物の筈だ。

私の様子にアイザックも気がついたのか、私のほうに戻ってきて煙草を灰皿へと押し付ける。そして、私がもう一度もしもしと声をだした時、布擦れのような、ガサゴソという音と何かがぶつかるような小さな音が聞こえて……。


『もしもし? ……ごめんね〜。今 電話落しちゃって。久しぶりだね』


受話器から聞こえる声に、私のほうが受話器を落しそうになってしまった。

聞き忘れるわけもない、気付かないわけがない。

間違いなく……この声は。

私が口を開く前に、受話器の向こうから声が漏れた。

『声を聞く限りだと、元気そうだね。アイザックは、相変わらず?』

まるで、昨日までいつものように一緒に居たように、その声も話し方も穏やかで、白昼夢でも見ているのかとさえ思う。

「ええ、相変わらずよ。今どこ」

私がそう言えば、相手はくすくすと笑い声を漏らした。

『それは言えないよ。2人でここに来ちゃうだろ? それから、逆探知もやめておいたほうがいいね。そんなことしても無駄だから』

電話の相手は、つまり逆探知を準備して調べる間に話が済むといいたいのだろう。

私も、もともとそんなことをしようとは思わない。

無駄だと分かっているのだから。

「用もないのに電話するなんて、随分と余裕じゃない」

嫌味ではないが、そう言ってやりたかった。

『そういうわけじゃないよ。寂しくてね、声が聞きたかったんだ』

まるで、遠く離れていた恋人と、久々に電話で話しでもするような言い方だ。

「どうする気」

受話器の向こうから、楽しそうな忍び笑いが聞こえる。

その笑い方は、最後の日の、あの冷たい目をした彼を思い起こさせた。

『ゲームはラストまでやるから楽しい。そうだろ? 景品は……そうだな、深月でどう?』

どこまでが本気で、どこまでがそうでないのか、私にはわからない。

それでも、一つだけ言えることがある。

「必ず、見つけ出すわ」

これは、彼にとってのゲーム。

『ああ、楽しみにしてる』

まだ、ゲームは終わっていない。


『ああ、それから』


そう言って、言葉をいったん切ると。

『髪伸ばしてるんだ。長いのも似合うよ』

そう言った。

私は耳から受話器を外して顔を上げると、窓の外を見ていく、ぐるりと窓の外を見回せば、ビルに囲まれていて、どのビルから見ているなんて分かるわけもなかった。

しかも、今は雪が降っている。

私が髪を伸ばしている事を、見える距離で今見ていて、そして、そこから今電話をしてきたのだ。私の動揺も凄いものだっただろう。

もう一度受話器に耳を当ててみたが、受話器からは通話が切れたと知らせる音が鳴っていただけだった。

私は受話器を静かにおいて、そして……。

私の口の端は微かに笑みの形を作っていた。









嬉しいわけでも楽しいわけでもない。

それでも、今私のするべき表情はこれだと言えた。

「深月……今のは……」

アイザックの声に振り返り、静かに頷いてみせる。

アイザックならそれだけですぐに分かるだろう。

私の反応を見て、アイザックも「そうか」と返事をすると、煙草に火をつけて私に背を向けた。その口元には私と同じ笑みを浮かべて。

私達は、この先も警察官であり続ける。

そして、そうある限り、まだ終わりはしない。








終わり

あとがき