absolute dread(アブソルート ドレッド)〜3〜




私が署に戻ったのは夕方も六時半を過ぎたころだった。

エドガーとアイザックが戻ってきたのは七時近い時間、二人の報告を聞くのはさらにあとだろう。今日も帰りは夜中を過ぎてしまいそうだと思った。

まず、メープルパークで見つかった死体は、D地区で発見されたものとよく似ていたようだ。

前回同様、身分証はポケットに入っていて外傷は両目が無いこと、それ以外目立ったものは無い。争った形跡もなく、これも前回同様だ。

同一犯の犯行と見てほぼ間違いない、前回の検視報告書で分かったことは毒殺であること、被害者の死亡後に両目がくり貫かれたことだ。

使用された毒物について、死因はシアン化合物中毒。

もっと分かりやすく言えば、つまりシアン化水素・青酸カリ・青酸ソーダのことを指している。一般的に青酸カリと言えば、かすかなアーモンド臭というのがよく知られる特徴だが、少し詳しく説明しておこう。


まずは先に、これを説明しておこうと思う。


青酸カリといえば、アーモンド臭というのはよく聞くが、そう聞いて、普通の人ならどんな匂いを想像するだろうか。

まず間違いなく、市販されている香ばしいアーモンドの種の匂いを想像するかもしれない。

だが、実際にはそんな香りはしないのだ。

ではどんな匂いなのかというと、実はアーモンドの実の匂いのことを言っている。普通はそんな匂いはわかるわけもないのだか、甘酸っぱい匂いがするそうだ。

実際には、私はアーモンドの実のにおいは嗅いだ事が無いので、比べようもないが、機会があれば、是非一度、アーモンドの実の香りというのを嗅いでみたいものだ。



次に、シアン化合物の毒性について説明しておこう。


シアン化合物中毒というのは、死亡症例の病理所見では特徴を見出せないが、剖検のさいにアーモンド臭を感じ取ることが出来る。また、シアン化カリウム(青酸カリ)・シアン化ナトリウム(青酸ソーダ)を摂取した場合、胃粘膜のうっ血及び侵蝕を引き起こす。

見た目で判断することの難しい毒物なのだ。

青酸カリは胃酸によって分解されなければ効果は無いが、胃に入ってしまえば急速に意識を失い、痙攣し5分以内に死亡する。(青酸ソーダと類似) その致死量は、シアン化水素で五十mg〜百mg・青酸カリなら百五十mg〜二百mg・青酸ソーダなら二百mg〜三百mgが必要とされている。

一般人がそう簡単に手に入れられるものではないだろう。

毒物について出所を探すのは、〔タキ〕という男を捜すよりはまだましかもしれない。

話を戻すが、今回見つかったメープルパークのものも同じ毒が使われている可能性は高い。つまり連続殺人ということだ。



もう一方の事件について、エドガーが担当することになるだろうが、これもまた短絡的なものではないように思われた。

簡単に説明しておくが、発見されたのは十代後半から二十代前半の男性。
俗に言う、『ラブホテル』といわれる恋人たちの憩いの場であるホテルの一室が殺害現場になっている。

発見者はホテルの清掃員。被害者の男性が時間になっても出てこなかったため、フロントが部屋に電話をしたのだが誰も出ず、痺れを切らしたフロントが清掃員に様子を見に行かせたところ、部屋には鍵が掛かっていなかった。

ちなみに、このホテルでは部屋の使用時間中はオートロックが掛かり、外からは開かないようになっているため内側からしか開かない。 時間外であればオートロックは解除されているので、清掃員が出入りできるようになる。

つまり、鍵が掛かっていなかったことで清掃員は中に入ったが、そのせいで見なくてもいいものを見る羽目になったわけだ。


さほど大きくも無い部屋で、入り口から入ってすぐのところにダブルベッドが設置されている。遺体の発見場所はそのベッドの上だ。

全裸で仰向けに倒れている状態で、首を鋭利な刃物のようなもので切られていた。
部屋中に血が飛び散って、辺りは血の海と表現するのが一番あっているようだったとエドガーは言った。つまり犯人も大量の返り血を浴びたことになる。


だが、ホテルの従業員は誰一人として犯人を見ていない。それどころか、被害者と入ってきたはずの容疑者でさえ顔は見ていないということだった。

そして、証拠になりそうなホテルの監視カメラの映像は、映しているが、テープを撮っているわけではなく、フロントの部屋に置いてあるテレビモニターに映されるのみだとか・・・。

個人的に文句を言いたいところだが、今それを言っても仕方が無い。

刃物の傷以外の外傷については、ひとつ気になるものがあるとエドガーから報告を受けている。

胸部の一部が大きく切り取られているらしい。切り取られた部分は現場にもなく、おそらく犯人が持ち帰ったものと推測される。何のためにかは考えたくない気もするが・・・。

凶器は見つかっていない。そして、容疑者と思われる人物についてはフロントの目撃情報しかない。ないよりましだろうと言いたいところが、黒いパーカーに濃い青色のジーンズ姿でフードを深くかぶっていたうえに、つばの大きな野球帽をかぶっていたというのだ。

身長は百六十cmない位のもので、多分女性だったということらしいが・・・。

どれもこれも信憑性にかけるもので、参考にはなりそうも無い。
もしこれが初犯の犯行だとしても、もう犯人は次の獲物を探し初めているだろう。もしかすればもう犯行に及んでいるかもしれない。



恐ろしいのは、犯行が残酷であることもそうだが、何よりも犯人が味を占めることだろう。連続殺人の場合、犯人の半数近くは間違っても馬鹿ではない。一部では、私よりも知能指数が高い者だっているのだ。社会的地位もあり、一般的に人としての評価も高い人物、そんな人物もいて、まして頭も切れるとなるとこれほど厄介で恐ろしいものは無いが、だからといって決して私が褒めているわけではないし、評価をしているわけではない。


残酷で自分勝手な殺人犯を許せないだけだ。


正義を振りかざすつもりは無いが、警察という職業を選んでいる時点で、多少なりとも正義感というものを持ち合わせているということなのだ。


犯罪の多くは、犯人の幼稚な考えや感情の制御が出来ないことにより起こると私は考えている。ストーカーなどは最悪なケースがもっとも起こりやすく、例えるのに一番分かりやすいかもしれない。一方的な自分の感情を相手に押し付け、相手を精神的に追い詰めて、最終的には殺しにまで発展する事だって珍しくもない話だ。


だが犯罪は一部の特殊な人が起こすものではなく、誰もが起こしうる可能性があると私は思っている。犯罪に大きい小さいは関係なく、常に隣り合わせのものだと言えるかもしれない。


例えるなら、崖のぎりぎり淵に立っていて、一歩足を踏み外せば真っ暗な崖下に落ちるように、一度踏み外せば戻ることはとても困難なことだろう。


そう、私だって例外ではない。





それぞれ報告も終わり、今日の仕事もここまでだ。

忙しいと仕事に夢中になるのはかまわないが、きちんと休養をとることも忘れてはいけない。自己管理が出来なくては、頭だって鈍ってしまうだろう。

「じゃあ、私は先に帰るけど、二人とも遅くまで根詰めないようにね」

私は二人の顔を見て笑顔を作った。

「俺たちも今日は上がる予定なんだけど、これからジョージの店に行くつもりなんだ。よかったら深月も一緒に行かない?」

エドはそう言って私に笑い返した。

ジョージの店とは、私たちがよく行くバーで、うちの署から近いこともあり他の仲間たちもよく顔を出すなかなかいい店だ。私も別に断る理由もない。

行くには行くが・・・。

「もしかして、検視官にフラれたの?」

私がそう言ってアイザックを見つめると、がっくりと肩を落とし、アイザックはエドに泣きつく真似をして見せた。
エドはアイザックをあやす真似をして、困ったように笑う。

「俺は女運がないんだよ・・・」

「そんなことないよアイザック。ねえ、深月だってそう思うだろ?」

「まあ・・・別にかっこ悪いわけでもないし、性格だって多少の問題があるけど、私はいいと思うわよ。・・・ただね・・・やっぱり惜しいのよね」

「惜しいとか言うなっ!慰めろよっ!」

「はいはい。じゃあ行きましょうか」


私たちは署をあとに、ジョージの店へと向かった。

店内に入ると、今日はほかの仲間たちの顔は見えなかったが、相変わらず客はソコソコ入っている。警察署のそばに店を構えるだけあって、厄介な客があまり居ないのがまたいいところだ。

私たちはジョージに声を掛けるとカウンターではなく、何時ものテーブル席に腰を下ろし、何時ものお酒を注文した。

私は適当なカクテル、エドはハイボール、そしてアイザックはシングルモルト。
だいたい、こんなものだ。

「エド、男は黙ってシングルモルトだぜ」

アイザックはそう言って、にやりと笑い、煙草を取り出し火をつけた。
エドは困ったように笑いながら、ハイボールに口をつける。

「俺ウイスキーならモルトよりアイリッシュウイスキーのほうが好みなんだよね」

エドはそう言って、柔らかい笑みを浮かべた。

「アイリッシュウイスキーは確かにピートを使ってねーからスモーキーフレーバーがなくてまろやかな感じだが、あのとろみのある舌触りがいただけねーな。エドはグレーンやテネシーもいけんじゃねーか。俺が好んで口にしてるこのモルトだがな。シングルモルトってのは単一蒸留所のモルトのみで作ったもののことなんだよ。このシングルモルトもピュアモルトに含まれるんだぜ。俺が特に好きなのは、スコッチのモルトだ。あの独特のスモーキーフレーバーがなんともいえねー。ウイスキーの中でも世界五大ウイスキーってのがあってな、スコッチウイスキー、アイリッシュウイスキー、アメリカンウイスキー、カナディアンウイスキー、ジャパニーズウイスキーってあってよう。質・量共に世界で高い評価を受けてんだなこれが。でな、ウイスキーの・・・」



まだ続きそうだ。

楽しそうに話すアイザックを見ているのはいいのだが、ウイスキーの話しをされても私にはよくわからない。

エドはわかってないにしても、一生懸命に聞いていて何とか理解しようとしていた。
健気なこの姿が、女性の母性本能をくすぐる要因であることは間違いないだろう。

だけど、いい加減に別の話題に変えて欲しい。

正直、私が飽きた。

「アイザックがもてない理由のひとつがそれじゃないかしら?」

「?!」

「うんちくが長いのよ。おまけにどこの世界にウイスキーの話を喜ぶ女の子が居るわけ?」

「まあまあ・・・俺は楽しいよ。アイザック」

「エドガー・・・お前だけはわかってくれるよな〜。俺ってやっぱ女運ねーよ」

「どういう意味よ」

「俺のそばに居るのはお前のような女ばっかり」

「深月、落ち着いて・・・目が笑ってないよっ」

「何が言いたいのよ。アイザック」

「お前が男前過ぎなんだろ。男が寄り付かないぞ」

「何ですってっ」

失礼なやつだ。

「そんなことないよ、深月っ。深月は美人だから、男が放っておかないって。スタイルだっていいし、肌も綺麗だしね?俺より年上には見えないよ」

「エド、それフォローしてくれてるのよね?・・・一応」 

微妙に笑うエドに私は目を細めて見せるが、まあ、そこはエドガーだから許してやろうと思う。そして、お酒のおかわりを注文しようとしたとき、まだ注文していない筈のつまみが運ばれてきて、私たちは運んできたウエイトレスに顔を向けた。

「あら?まだ何も頼んでないけど」

私がそう言うと、ウエイトレスの女の子は頬を真っ赤に染めて下を向いた。

「あ、あの・・・エドガーさんに・・・私からのサービスです・・・」


ここにもエドのファンが居たか。


女の子はエドをちらりと見ると、真っ赤に顔を染めながら、さらに下を向いた。
エドは首をかしげると、少し困ったように笑う。

「でも、ジョージに怒られちゃわない?」

「だ、大丈夫です!!ジョージさんにはもう言ってありますから!エドガーさんに是非食べて欲しくって・・・」

「そうか・・・それなら遠慮なくいただくね。ありがとう」

エドガーはそう言って極上の笑みを浮かべた。

女の子はそれを見ると、まるで夢見心地のように、ぽーっとエドを見つめていた。
そんな女の子を見ながら、アイザックはにやりと笑い立ち上がると、女の子の肩を抱き寄せてその顔を覗きこんだ。

「じゃあお礼にお兄さんがデートしてやろうか?」

悪ふざけなのか、半分本気かわからないが、ちょっと呆れる。 むしろそう言う態度が、女の子たちに遊び人のイメージを与えてしまってるのを本人はわかってるんだろうか?まあ、わかってなくても私は面白いからどうでもいいが。

女の子は、アイザックに顔を向けて首をかしげると、少しだけ言いづらそうに口を開いた。

「アイザックさんって・・・カッコいいんですけど、惜しいんですよね」

「惜しいとか言うな・・・」

やっぱり惜しい男アイザックのようだ。










つづく

next