absolute dread(アブソルート ドレッド)〜5〜



 一つの事件に進展があったのは、十二月も半ばを過ぎたころだった。

進展と言っても、コレクター殺人に使われていた毒、シアン化合物の出所についてだけ
だったが、大きな進展ではある。ここから犯人に繋がる何かが出るかもしれないからだ。

とある製薬会社から、シアン化合物が紛失していると警察に届けが出されたのが先週の
話で、アイザックがそれを拾ってきたというわけだ。

物がシアン化合物ともなると、届けも早い。なにしろ、物が殺傷能力の高い毒物だ。管
理不十分で営業停止となる場合も十分にある。まして殺人に使われていたとなれば、隠
した時点で会社の信用はガタ落ちになるだろう。


だが、あっさりし過ぎている感は否めない。


証拠の隠蔽や殺人の手際のよさ、犯人に繋がる情報は何一つ出ていなかったのにも関わ
らず、毒の出所があっさりと分かってしまった。この犯人にとって、それを隠すことは
容易に出来たはずだ。なによりも、これでは犯人が製薬会社の中に居ますと言っている
ようなものじゃないのか。それとも、そう思わせておきたい犯人の策略なのか。もしか
したら、犯人は自分を止めて欲しいと思っているのかもしれない。

それとも、もっと別の何かが・・・・・。


とにかく、まずはその製薬会社に行き話を聴かなくてはいけない。

私はアイザックとその製薬会社に行くことにした。ちなみにエドガーはお留守番だ。話
を聞きに行くだけだから、ぞろぞろと大人数で行くわけにはいかない。今の段階では劇
薬の紛失以外で調べるのは難しい。殺人の容疑者がいたとしても、何一つ証拠もない今、
令状もなしに誰かを引っぱるのはまず無理だ。参考人としてなら引っぱってこられない
こともないが、強行に出ることすら出来る状態じゃない。

アイザックの運転で、私たちは製薬会社に向かっていた。

アイザックが色々調べてくれたものを車の中で確認する。
シアン化合物の横領容疑に上がっている人物についてだ。


「第一容疑者に上がってんのが、王 利伯(おう りはく)。入社2年目で勤務態度は
至って真面目。ただし、精神的に問題あり」


アイザックの説明を聞きながら、彼の用意してくれた王のファイルを確認する。

アイザックのいう精神の問題についても書いてあった。

「対人恐怖症?・・・その割に、まともに仕事してるみたいじゃない」

ファイルには王の精神的な病名についても書いてあった。対人恐怖症と診断を受けてい
る。カウンセリングも受けていたらしいが、最後にカウンセリングを受けたのが三年前
になっていた。

「あぁ・・・ファイルを読む限り、今の仕事が向いているとは言えないな。会社側は知
らされていないようだ。会社での王は、自分のラボにこもっての仕事がほとんどで、滅
多に外にも出ないらしい」

つまり、家と会社を往復するのみの生活なのだろうか。

第一容疑者に挙がってはいるものの、怪しいというだけで証拠は何一つない。だが毒物
の出所はここで間違いないと私は思っていた。

でも、どうしてもこのタイミングは気に入らない。何かが引っかかりになっているのに、
その何かがわからない。これでコレクター殺人の犯人が王なら事件は解決するだろうが、
もっと大事な何かが欠けている。


私にはそう思えてならない。





私たちは製薬会社に着くと車を駐車場に停めた。


この辺りではそれなりに有名な会社で、建物も大きめだ。

正面玄関の自動ドアをくぐると受付がすぐに見える。

受付の女性が私たちを見つめていた。

私たちは受付の前まで来ると、身分証である警察手帳を受付の女性に見せ、一応の理由
である毒物紛失の件で来たことを話した。
王に話を聞くために呼び出しを頼むと、受付の女性はすぐに内線で王のラボに連絡を入
れるのだが。

何度鳴らしても内線には出ない。念のため外出届の確認もしてくれたが、届けは出でお
らず、休憩時間には早すぎるからラボにいるはずだと受付の女性は困惑しているようだ
った。

しばらくしてどうするか考えていた私をよそに、突然アイザックが玄関のほうに歩き出
した。

「ちょっとアイザック!」

呼び止めてはみるがアイザックは振り返りもしないで右手を上げ、ひらひらと手を振っ
てみせる。

「裏口に回ってみるわ。逃げられても困るからな」

そう言うと、アイザックはそのまま玄関を出て行ってしまった。

独断・単独行動は控えろといつも言ってあるのだが、アイザックはこういうとき、勝手
に行動する傾向がある。そのために未だ役職ではエドガーより下の位置にいるのだ。

アイザックは私やエドガーよりも頭の回転が速く、行動するときは迅速で頼りになる。

だが、アイザックの独断や、面倒くさがりの性格も手伝ってか、仲間内でも扱いにくい
部類に属していて、性格的に仲間内に好かれてはいても、仕事面ではなかなかコンビで
アイザックと仕事をしたがる人間はいない。私は直属の上司に当たるが、好んでコンビ
を組むのはエドガーかアルバートくらいだろう。


私は一度深く息を吐くと、受付の女性に王のラボの場所を聞き、そこに向かうことにし
た。


建物は四階建てで、王のラボは四階の東側に位置している。

ここでの王の仕事は、新薬の開発や研究で、社内でもそれなりに地位も確立していたら
しく、王は個人でラボをもっている。部下はつけておらず、一人で研究室に籠っている
ことがほとんどで、他人が自分の領域に入るのをかなり嫌がっていたらしい。

それでも、その実力は確かで、必ずと言っていいほどに期待に応え成果を出していた王
が、一人で部屋に籠っていても会社側には何も言えないようだ。

そんな王が今回横領の容疑者に上がったのは、行動の変化からだった。

話を聞いた限りでは、王はラボと自宅の往復以外で自分の研究室から出ることはほとん
どなく、昼食も自分の研究室でとり、休憩時間でさえもほとんど部屋からは出ない。

そんな王が二・三ヵ月前から社内で動き回っているのが目撃されていた。

普段から他人と挨拶以外の余計な会話はせず、立ち止まって世間話など決してしない王
が、社内で他人と笑顔で話していたという。


おかしいと思わない人も少ないだろう。私でも違和感を覚える。


そんな時にシアン化系の毒物紛失が発覚。内部調査に乗り出したところ、王がラボ以外
で目撃されているときに限り毒物が減っていく事から容疑の目が向けられた。

だが王に容疑の目が向けられたからといって、彼が犯人とは断定できないだろう。

いわば、王はこの会社での功労者であり、人間性に多少の問題があったとしても、実力
者なのだ。その彼を妬み、彼に罪を着せて、その地位を脅かそうと考えた者がいないと
も言えないだろう。だからと言って王が犯人でないという証拠にもならないが。

ただ、私は王が犯人であることを望んでいないのかもしれない。

何故なら、このシアン化系毒物の紛失は、イコールでコレクター殺人にもつながると考
えているのだ。コレクター殺人の犯人像として、王は十分に当てはまるが。

この結果はあまりにもお粗末ではないだろうか。


被害者を抵抗する間もなく殺し、目以外の部分には傷をつけないその手口、目撃者がい
ない死体の移動手段。犯人に繋がる証拠など、指紋はおろか毛髪さえも残してはいない。

完璧なまでに徹底されたそれを全てやりこなし、警察の捜査をかいくぐり犯行を重ねた
犯人。


そんな犯人がこんな致命的で単純なミスを犯すだろうか。




エレベーターに乗り四階の東側、王のラボがある部屋を目指す。

四階に着き、エレベーターを降りると、目の前には社内案内の書かれているプラスチッ
クボードが貼られていた。案内のボードで受付の女性に教えられた王の部屋を確認する
と、さほど広くない廊下を歩き出す。

私の進行方向から右側には廊下の突き当りまで窓が並び、左側にはいくつもの扉がやは
り廊下の突き当りまで並んでいた。廊下の突き当たりはどうやら左に行く道があるよう
だった。王の部屋は廊下の突き当たりよりも手前だ。

ここに付いたのは午前中だったが、この廊下の窓からはもう日は差し込んではいない。

だが昼前であることは確かなはずで、この窓から見える景色はどこか寒さが伝わってく
るようだった。今日は雲が少なく、日が出でいて天気がいい。昨日よりも暖かいほうだ
が、十二月のこのくらいには毎年雪が降り始める。例年どおりなら、もうすぐこの街に
も雪が降るころだろう。窓から見える今日の空は限りなく蒼く高く見えた気がした。

私は窓から視線をはずし、廊下に戻す。


すると、私の視線の先に一人の男が目に入った。


男は窓の前に立ち、窓の外を眺めている。その手には水の入ったペットボトルを持ち、
白衣を着ていることからも、ここの社員であることが推測される。

男は不意にペットボトルを持つ腕を少し持ち上げて、もう片方の手で服の袖をずらし、
何かを見ているような仕草をする。多分腕時計か何かだろうと思う。男はその仕草から
また窓に顔を戻そうと顔を上げる途中、歩いていた私に気がついたようで、体ごと私の
ほうへと向き直った。近づくにつれてはっきりと男の顔が見えてくる。二十代から三十
代といったところか、少し細身で肌の色も白いというより青白く、お世辞にもあまり健
康そうには見えない。優しげで物静かな感じを受けるその顔に、私はアイザックから車
の中で見せてもらった王の資料に入っていた写真を思い出した。


そう、今私の目の前に立っている男こそ『王 利白』本人だ。

お互いの声と顔が確認できる位置で私は足を止めると、王の顔をまっすぐに見つめた。

その目に光はなく、まるで底の見えない闇のようにも見えたし、見えない壁でもあるか
のようにも見えた。そして、今目の前にいる王を直接見てこれだけは言える。


彼は私や他の人とは『違う』と。

「王 利伯さんですね」

私は彼から目を離さないように、核心もって彼の名前を口にした。



彼は少し驚いたような顔をして見せたが、すぐに柔らかなと称しても差支えないほどの
笑顔を作って見せ、また腕時計を見つめると、ゆっくりとした動作で頷いてみせて、私
のほうに顔を戻した。

「はじめまして。警察のかたですよね」

まだ名乗ってもいないのになぜわかったのか。王はそう言うと、笑顔のまま私の次の言
葉を待つように口を閉じる。自分が疑われていることを知っているのだと、私は納得し
て話を続けた。

「早速なのですが、もうご存知とは思いますが劇薬紛失の件でお話をお伺いできますが」

「シアン化系の話ですよね。僕を疑っているんでしょ?」

王はそう言うと楽しそうに笑う。

その姿はまるで、悪戯が見つかった子供のようにも見えた。まるでこうなったことを楽
しんでいるように、私を挑発しているのかもしれない。随分と困った性格をしているよ
うだ。


冗談ではない、こんなことを楽しまれても困る。


「私は真面目に聞いているんですが」

「僕も真面目ですよ」

言葉遊びでもしているつもりなのだろうか。

すると、王はペットボトルを持っていないほうの手を白衣のポケットに入れる。一瞬警
戒はしてみるが、何かを出そうとしているようには見えない。彼の癖なのだろう。

王は笑顔のままで、真面目というには疑わしい限りだ。

「それならきちんと話を・・・」

私が言葉を全て言い終わる前に、王は私の言葉をさえぎって話し出す。

「聞き方が違うんですよ。ヒントをあげましょうか?思ったより早かったんで、正直少
しだけ驚きました。・・・さて、あなたが僕にする質問はなんでしょう?」

言葉遊びならまだ可愛いものだったろう。

王はここに警察が来ることを分かっていたのだ。会社で内部調査が起こる前から知って
いた。つまり紛失事件なんて問題ではない。もっと前の段階、間違いなくシアン化系の
毒物を盗んだのは王だ。王はここに警察がたどり着きやすいように、わざとあからさま
に毒物を盗んで見せた。


私が聞くことがあるとすれば・・・。


「被害者を殺害し、両目をくり貫いた殺人犯。・・・あなたがそうね」

質問というよりも確信。

王は無邪気に笑って、また腕時計に目を落とす。

「正解です。・・・・・でも残念ですね」

王は腕時計から目を離し、私を見つめると本当に残念そうに笑った。

「・・・まさか」

「あなたの眼が一番綺麗ですよ」

王はそう言うと穏やかに笑顔を作り、次の瞬間ペットボトルは廊下に転がった。

王は口元を手で覆い、苦しそうに呻くと、力なく両膝を折り廊下に崩れた。

私は急ぎ王の体を支えるように起こすが、王は口の両端を上げ、ただ一言。


「GAME OVER」

「しっかりしなさい!・・・誰か!!」

もう私の声に反応できないのか、苦しみはコレクター殺人で使われていたものと同じで、
呼吸困難を起こしチアノーゼがでている、体が痙攣を始め・・・そしてそのまま動かな
くなった。これはシアン化中毒の症状だ。

私が大声を出したことで、ここには人も集まってきていた。

「何があったんだ?」

集まりだした人の中に、聞き覚えのある声があることに気がつき、私は顔を上げて声の
したほうに顔を向けた。そこにはアイザックが眉間に皺を寄せ、私のすぐ横に立ち、私
が支えていた王を見つめていた。

「彼が・・・犯人だった」

私は王をいったん廊下に寝かせると、その場に立ち上がる。


これが、事実上の解決になる。


私が納得しようがしまいが、コレクター連続殺人事件は、犯人の自供により王利伯と決
まった。この事件は犯人の服毒自殺という形で幕を降ろしたのだ。

どんな事件でもそうだが、必ず納得できる犯罪やその結末があるはずもない。

納得できるものなどあるわけがないのだが、今回はとくに、その思いが強く残ることに
なる。目的や動機も分からず、全ての行動も理解に苦しむし、自殺の理由すら、私には
思いつきもしない。


疑問ばかりを残し、捜査は続いていく。










つづく

next