absolute dread(アブソルート ドレッド)〜6〜




一応の解決を見たコレクター殺人事件だが、その後も色々とやらなくてはいけない事は
あり、もう少しこの事件とは付き合わなくてはいけない。

王の自宅マンションに向かった私たちは、少しの疑問が解けると同時に、新たな疑問が
出てくるのだが、先に私たちは恐ろしい思い違いをしていたのだ。


そのことについて語っておかなければいけないだろう。


当初、この事件の最初の被害者はアレン・マークという三十代の男性で、その後、二ヶ
月の間にアレン・マーク氏を含めて八人の被害者を出した恐ろしい事件だと思っていた
が、根本から覆ったのだ。

王のマンションはそれほど広くはなかったが、必要最低限のもの以外に余計な家具や物
がなく、生活観は感じられなかった。

玄関を入りすぐ右側にキッチンがあり、そこを通り過ぎると全面フローリングの小さな
リビングで、家具といえば、二人掛けのソファが一つと、18インチのテレビが一つ。

玄関とは対照的な位置に窓とベランダが見えた。リビングの左側の壁にはもう一つ扉が
あり、私たちはそこに足を踏み入れ愕然とした。六畳の小さな部屋、リビングと同じよ
うな位置にカーテンがかかっていて、窓があるのだろうと推測できるが、カーテンが閉
まっていて、外を見ることは出来なかった。それ以外に家具はなかったが、部屋の壁全
面に信じられないような光景が広がっていた。


縦十五〜十六センチ前後、横幅が七〜八センチくらいの細長いガラス瓶が、大きな本棚
のような棚の中に並べられている。棚は床下から天井ぎりぎりまでの大きさで、横幅は
両腕を広げたくらいあった。

それが部屋に四つ置かれ、その棚の全てに、ガラス瓶が綺麗に並べられている。ガラス
瓶は液浸標本のそれのようだ。その中には人間のものと思われる眼球二つが入ってい
た。

正確な数は分からなかったが、瓶の数は優に百個は軽く超えているだろう。瓶の中の眼
球は全てがブルーで、一番多いのがアイスブルーだった。



つまり、この件に関して、未だに発見されていない被害者がいるということを指してい
た。


そして、このマンションで王の日記をいくつか発見し、色々なことが見えてきたのだ。

一番古い日記には王がまだ少年だった頃のものがあった。

そこには、他人にたいする恐怖について書かれていて、王がこの頃から精神的に病んで
いたことが伺える。

日記を読んでいくと、王の過去はあまり良いものではなかったようだ。


王の両親は王の病気にはまったく理解がなかったこと、そのせいで精神的、肉体的な暴
力も受けていたようだ。そしてカウンセリングを受けるところまではたどり着いたが、
そのせいで今度は両親が彼を見捨てた。その絶望や悲しみ、怒りは私には計り知れな
い。

また、カウンセリングに効果はあまりなかったようで、日記の中で王は激しい怒りを書
きなぐっていた。


これが王の青年時代の締めくくりだ。


その後は、数年の間が開き、日記が再開されたのは大学に入学してからだった。

どういう経過で大学に入ることを決めたのかはわからないが、とにかく王は大学に入学
し、製薬会社に勤めることとなった。

その頃になると、青年時代の怒りは抑えられる。王にとって、自分の人生を変える変化
が起こったようだ。詳しくは書かれていなかったが、それが今回の連続殺人へと繋がる
結果になってしまったことは残念でならない。

そして、日記の一番新しい物には、最近殺害された被害者たちの事も書かれていた。

その日記の最後の日付は、私とアイザックが王の居る製薬会社を訪ねる前の日、一二月
二十一日で日記は終わっている。

そして、最後のページに書かれていたことが私にはとても気がかりで、何度もそのペー
ジを読み返していた。


最後の王の日記にはこう書かれていた。






[12月21日(晴れ)]

今日も寒かった。明日も晴れるようで、今日よりは暖かいらしい。

でももうそろそろ雪が降る頃だ。この街はこのくらいの時期になるといつも雪が降る。

この街の雪は好きだ。白くて綺麗で、あの人も好きだといっていた。

あの人は最近とても忙しそうで、それも仕方ないけど、でも必ず一日に一回は連絡をくれる。

昔の約束を今でも守ってくれる。


今考えても凄いと思う。


僕があの人に出会ったことは、僕の人生の中で最高の出来事であり、これ以上のものはない。

まるで恋でもしているようでおかしいと思う。

でも、この先もそれ以上のことなんて絶対にない。僕には分かる。

あのクソカウンセラーや僕を虫けらにも劣ると蔑んだ両親、全てに絶望していた僕にあの人が
光をくれた。いやあの人自身が光そのものかもしれない。

僕に手を差し伸べて導いてくれた人。

死んでしまいたいと思った僕を優しく抱きしめてくれた人。


感謝なんて言葉じゃ足りない。

ありのままの僕を受け入れて、深く理解してくれた。

僕には神そのものが僕を助けに来てくれたんだと思えてならない。


だから、あの人が望むなら僕はなんだってしてみせる。そう、なんでもだ。


本当は、ここにあの人のことを書くべきじゃないことは分かってる。


あの人だって嫌がる。


でも、きっと許してくれるでしょ?なんとなく分かるんだ。もう僕はあの人に会えないってこと。

あの人に会う前の僕は、生きてさえいなかった。

あの人に出会えてはじめて僕はこの世界に生れ落ちたんだ。


海よりも深く、空よりも大きく何よりも愛しています。






この日記からわかるように、王は〔あの人〕にとても強く憧れ、想っていたようだっ
た。


王に恋人がいたという話は聞いていない、カウンセラーの話でもなく、王を救ったとさ
れる〔あの人〕とはいったい何者で、王とはどういう関係だったのだろう。


すべての日記に目を通してみたが、〔あの人〕に関することはこの最後のページのみに
書かれていて、名前すら書かれていないのだ。


この文面から分かることは、私の想像でしかないが、おそらく王よりも年上だろうとい
うこと、そしてたぶん女性だろうということ。〔あの人〕と王の付き合いは一年や二年
の話ではなく、もっと長い期間だろう。確認も取れない私の想像でしかない、確かめよ
うにも〔あの人〕に関する情報はない。王の書いたこの日記だけだ。

今回の事件に関係があるのかと聞かれても[可能性はゼロではない]としか言えない。
日記の中で王は、[あの人が望むなら何でもしてもせる]と書いている。少なくとも、
まったく無関係ではないはずだ。


なぜなら、〔あの人〕が王のしていたことを知らなかったはずがないからだ。


自分のありのままを受け止めてくれた人、強い怒りも恐怖も〔あの人〕が解決の糸口を
見つけてくれたのだ。王は殺人の戦利品を持っていた。そのことからも分かるとおり、
彼に[人を殺した]という罪悪感も後悔もない。自分を理解してくれている〔あの人〕
に隠す必要もないと言える。絶対とは決して言えないが、〔あの人〕が知っていた可能
性はかなり高いだろう。そう考えると、普通なら警察に連絡するなり、その行いを止め
ようとするものではないだろうか。

〔あの人〕が今回の事件に関与していた可能性は、全くのゼロではないのだ。

だが、人が他人を神のように崇め、そしてその他人のために罪を重ね続けるものなのだ
ろうか。


私には不思議でならない。


そんな私にアイザックは言った。


「方法はどうあれ、不可能ではないだろうな。催眠術・マインドコントロールの類と考
えればいい。どの方法でも〔自殺〕を促すことは非常に難しいが、他者を傷つける行為
は物を壊すのと大差はない。考えてみれば、王は自ら死を選ぼうとしていたほどに追い
詰められていたわけだ。ぎりぎりの精神状態から救ってくれた人物を神聖視しても可笑
しい事じゃない。ただ逆に恐ろしいのは〔あの人〕と呼ばれている人物だろう。王の感
情・行動をコントロールし、神と崇めさせるに至ったその行動、頭の回転の良さ・速さ
が窺える。それこそ、俺は〔あの人〕に恐怖を感じるね」


アイザックの言うとおり、王の全てを操っていたとしたら、それ以上に恐ろしい事はな
いだろう。


この事件が本当の意味で解決するのはまだ先のようだ。








 今年は去年よりも遅く雪が降り始めた。


暖かかったわけでもなく、今年も例年どおり肌には痛い寒さだ。

今年も残すところあと数週間といったところだが、まだ二つの事件は解決の目処が立っ
ていなかった。それにしたって、三つの事件のうち一つが略一ヶ月である種の解決を見
ているのは、とても速いと言えるだろう。

自分の担当している事件のことや、事後処理などで私はまだ署に残っていた。


時間にしたら十一時もあと数十分で終わるころだ。


鞄をとって帰ろうと部署室のほうに向かっていると、扉をきちんと閉めていなかったの
か部屋の明かりが廊下に漏れていて、部屋に誰かが居ることを教えていた。

私は扉をそっと開けて中の様子を確かめるように覗くと、そこには見慣れた後ろ姿が自
分のデスクに向かい、何かをしているようだった。

「まだ残ってたの、アイザック?」

そう声をかけると、やけにのんびりとした動作で頭を掻いて、アイザックは慣れた様子
で煙草を咥えたまま振り返り、なにやら面倒臭そうに手をひらりと振ってデスクに頬杖
を突いてみせた。

そんなアイザックのそばにいくと、溜め息を吐き出すようにアイザックは言葉を吐き出
す。

「面倒くせぇ〜、なんで報告書なんて書いてんだろ俺・・・」

なんて愚痴っている。

「仕方ないでしょう。コレクター連続殺人事件の担当はアイザックなんだから。それと
も、またエドガーにでも頼むつもりじゃないでしょうね?」

冗談ではなくアイザックならやりかねない、前歴もあるのがまた厄介だ。

「それいいねぇ〜!エドガーなら俺より見やすくていい報告書を書いてくれんだろう」

反省してない上に心なしか嬉しそうなのは気のせいではないだろう。

「本当に面倒臭がりなんだから。・・・一応、エドはあんたの上司にあたるのよ」

私はあきれて大きな溜め息が出てしまう。


そんな私の様子に、アイザックも苦笑い気味に「冗談だって」と言った。

果たして本当に冗談だったのか、それとも半分は本気だったのかは分からないが、少な
くとも頭の隅にはそれも手だと思っていたに違いない。

やる気があるのかないのか判断に困る。


疑わしげに見つめる私の視線をかわしつつ、アイザックは一度咳払いをして話題を変え
た。

逃げたな。

「あー・・・。それよりどうなんだよ?バラバラ事件とホテル事件」


確かに、今はそっちのほうが重要事項だろう。


真面目な話だが、どちらの事件も手が掛かりは殆ど無い。

分からないことのほうが多いのだ。言い換えるならそれだけの周到さで、何食わぬ顔
で、犯人は今もこの街を自由に動き回っている。切掛けさえあれば、見落としさえな
ければ・・・そんなことばかり最近はよく考えているのだ。

「あまり進んでいるとは言えないわね」

私はそう言うと息を吐いて見せた。

事件は早く解決したいが焦ってはいけない。これ以上の犠牲は出したくないが、焦りか
ら大切なものを見失うほうがよっぽど恐ろしいだろう。犯人を確実に捕まえるために
は、何よりも冷静さを保たないといけないと思っている。


だが、冷静な判断を下していると自信を持っていえないのもまた事実だ。

最近では、睡眠時間もまともにとれていない。


こうしている間にも、犯人は次の獲物を探し、犯行に及んでいるかもしれない。


早く止めなくてはいけない。


気持ちばかりが焦るようだった。












つづく

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