absolute dread(アブソルート ドレッド)〜9〜 |
年も明けた1月のはじめごろ。 私たちは休みもなく仕事を続けていた。 私は母と祖母には嫌味まで言われる始末だ。 誰が好んで、休みを返上してまで仕事などしたいものか。私だってそうだ。 本当なら、連休を取ってたまの里帰りと、祖母に挨拶でも行きたいところだが、犯人は休むと言う言葉と新年というものを知らないらしい。 今のところ、ホテル事件の重要参考人として、パトリシアをマークしている状態だった。だからと言って彼女が犯人だとしても、すぐにはボロを出さないだろう。 私の担当している方の事件も、聞き込みに有力な情報は見つかっていない状態だった。 そして、アイザックだ。 彼は最近無断欠勤が目立つようになり、私も上の圧力が少し厳しい。 今日だって、朝に眠そうなアイザックを引っ張ってきたのはエドガーだった。 未だにアイザックの報告書も出されていない。 そのことについても、私は上から言われているのだ。 少しは上司に優しくして欲しいものだ。 「最近、ため息が多いな〜深月」 そんなのんきな声に、私は思わず懐の愛銃に手をかけたくなっても仕方ないと思うのだ。 大丈夫。 私は射的が大得意で、絶対にはずさないし、眉間のど真ん中に風穴を開けてやれる。 「一体誰のせいかしらね〜」 私はにこりと笑みを浮かべ、のんきな顔のアイザックに顔を向けた。 「目が笑ってねぇ、深月。悪かったって・・・3分の1は俺のせいです。すみません」 「分かってるなら生活改善しなさいよ。それと、コレクター連続殺人の報告書。早く頂戴」 私は顔に貼り付けた笑顔を引っ込めると、目を細めてアイザックを睨んだ。 まったくどうしようもない男だ。 普段いくらだらしないとしても、それを仕事にまで発揮することはないと思うのだが。 アイザックはへらりと笑って両手を胸の前まであげると、掌をひらひらと横に振った。 まるで降参しているようなポーズだ。 「いや・・・わりーんだけど、まだ出来てねーんだ」 信じられない。 「もう・・・いったい何時までかかってるのよ。署長を宥める私の身にもなってよね」 胃痛だけではなく、頭痛までしてきそうだ。 「もうちょい・・・な?署長には俺が後で説明すっから」 「署長の事は私が何とかしてあげるから、早く持ってきてちょうだいよ。報告書」 「へいへい。りょ〜うかい。警部殿」 調子のいいやつだ。 基本的に悪いやつではない。 だがこんな調子だから、惜しいとか言われるのだ。 少しは自覚を持ってもらいたい。 いつまで経っても恋人なんて出来ないぞと言いたいが、私はその言葉を言う変わりに溜息を吐き出した。 私はアイザックから視線をはずし、窓際のコーヒーメーカーのところに居るエドガーに顔を向けた。 署内の女の子たちに囲まれて、大好きなドーナッツとコーヒーを飲みながら、柔らかい笑みを浮かべているエドガーをぼうっと見つめる。 まったく面白いくらい対照的な二人だ。 勿論、見た目の違いもあるが、性格が全然違う。 他人なのだから当たり前なのだが。 エドガーは見ていた私に気がついたようで、私に綺麗な笑みを見せた。 「あいつ、犬みたいだよな」 自分のデスクに戻ったアイザックの声が聞こえて、私は顔をアイザックに戻す。 「まあ、そう言われればそうね。アイザックとエドガーを見てると、駄目な兄と出来のよい弟って感じよね」 私はそう言って意地悪く笑ってみせる。 するとアイザックは、少し引きつった顔で笑った。 「五月蝿いよ。どうせ出来の悪い兄貴だよ。俺は」 「拗ねない、拗ねない。あんたの歳で拗ねたって、可愛くないわよ」 「あのなぁ・・・。まあ、でも拗ねるってのは俺のガラじゃねーな。ついでに深月もな」 「余計なお世話よ」 「本当に、いい加減に相手探さねーと、嫁のもらい手がなくなるぞ」 「よっぽど早死にしたいようね」 私はすっと懐に手を伸ばす。 「頼む。射撃の的は勘弁してくれ。お前の腕は洒落にならん」 「大丈夫よ。絶対にはずさないから!」 「うおいっ!」 そんな何時ものやり取りをしていると、私の横から笑い声が聞こえた。 「相変わらずマンザイしてるの?二人とも」 そこには窓際から戻ってきたエドガーが、コーヒーを三つ持って自分の席に座るところだった。 コーヒーの二つを私とアイザックに渡し、エドガーは自分のデスクに腰を下ろすと、自分用のコーヒーの紙コップに口をつける。その顔には楽しそうな笑みを浮かべていた。 「アイザックが悪いのよ」 私はそう言って、コーヒーに口をつける。 「はいはい。全部俺のせいですよ」 アイザックは投げやりにそう返事を返すと、同じようにコーヒーに口をつけた。 「まあまあ。とりあえず報告書の続き、俺も手伝うからさ」 エドガーはそう言って苦笑いのまま、アイザックに顔を向けた。 エドはこういうお人好しな面がある。 まあ、それもエドの長所でもあるが、アイザックに対しては短所といえるだろう。 「甘やかしちゃ駄目よ、エド。あんたは一応でも、アイザックの上司なんだから」 私がそう言うと、エドガーはやはり柔らかな笑顔を浮かべた。 「名ばかりな上司だけどね。俺は書類作成とか向いてるんだよ」 私はしかたなく息を吐き出すと、黙ってコーヒーを飲むことにした。 やっぱり私は、エドにはどうも強くいえないらしい。 これが、私がエドガーに甘いと言われる所以だ。 仕方ない。 そして、エドと同じように私もアイザックに顔を向けた。 「・・・あっ・・・わりぃ・・・書きかけの報告書、家に忘れた」 そう言って、アイザックは私とエドに乾いた笑い顔を見せた。 なんてやつだ。 「・・・・・」 「あははは。ドンマイ二人とも」 本当に、アイザックを射撃の的にしたい。 ここ数日はずっと雪が降り続いていた。 おかげで街の風景は、灰色を一転し、真っ白な銀世界へと変貌を遂げていた。 雪の街は、音が極端になくなるような気がする。 そう思うのは私だけだろうか。 一月も半ばになり、バラバラ事件の有力な情報が入ってきた。 突然ではあったが、その情報源は聞き込みの成果と言えた。 休み返上で連日聞き込みに当たっていた捜査官の1人が、もっとも重要な手がかりをくれることになる。 それは、年明けの前の事だ。 ある捜査官が聞き込みをした家の主が、遺体で発見されたのだ。 発見されたその人物は、バラバラ連続殺人の被害者たちと同じ殺害方法で殺されていた。 年齢も外見的特長も、今までの被害者たちと一致。所謂、同一犯の犯行だが、その遺体の顔写真を見たある捜査官が、私にそれを報告してくれたのだ。 彼女は1人でアパートに住んでいて、その捜査官が聞き込みをした時にはまだ生きていた。ところが、その数日後に、少女は殺されているのだ。 犯人がその少女と関係を持っていたことは明白だろう。 そして、連続殺人の被害者たちの特徴が、その少女に当てはまった事から、その捜査官は注意を促すために話をしたのだが、その少女は「今、恋人と住んでいるので大丈夫」と言ったらしい。念のため、その捜査官はその男の名前や職業、外見的特長を聞いた。 まさしく大手柄だ。 男の名前はジョン=シュチュワート。 エドガーが調べたところ、逮捕歴があることが分かり、早速エドガーにジョンの現在の所在を探してもらうことにした。 私たちの探していた『タキ』という男は、このジョン=シュチュワートにほぼ間違いないだろう。 ジョンの所在が分かったのは2日後の夕方だった。 エドガーの報告によると、ジョン=シュチュワートは三件の暴力事件と、五件の婦女暴行で逮捕歴があった。こちらに越してきたのは2年前で、今は親の仕送りで暮らしているらしい。仕事はその切れやすい性格のためか、3ヶ月も経たないうちに首になっていた。また保護観察期間は過ぎていないのだが、2年前から観察官の所には行っていないらしい。 所在は分かった。それなら後は第一容疑者として引っ張るだけだ。 前科まであるなら、多少の強硬手段に出ても、上から文句は言われない。 私は席を立ち、上着に手をかけるとエドに顔を向けた。 「一応、深月も書類に目を通してみる」 私と目が合うと、エドガーはそう言って爽やかに笑う。 だが、これはいつもの事だ。 私が面倒な書類を見るはずもなく、私はエドに笑顔を向けた。 「エドの正確な報告で十分ね」 「はぁ。どうせ見ないと思ったよ」 私は笑って誤魔化し、話題を変える。 「さてと・・・アイザックは・・・」 エドガーはホテル事件がある。連れて行くならアイザックのほうがいいと思ってそういったのだが、私がそう言うと、回りの空気が固くなった気がした。 まさか。 「エド・・・アイクはどこ?」 「えっと・・・あの・・・今日は・・・まだ」 まだじゃない。 無断欠勤だ。 あの男、つい数日前に注意したばかりだというのに、やってくれるじゃないか。 「絶対にヤ(殺)る」 「み、深月っ!!俺がアイザックと一緒に行ってくるからっ!深月は大人しく・・・じゃなくて、ここで報告待っててよ!ね?!」 エドガーは青い顔で引きつった笑みを浮かべると、慌てて上着を持ち、私が何か言う前にすでに扉に駆け出していた。 「ちっ!」 非常に残念だが、アイザックの命日は少し延びたらしい。 つづく |